. . 聖書・「神のみことば」は、真理の尽きない泉です。深く掘れば掘るほど、豊かな甘い水を湧き出します。日本古来の井戸掘りの技術に「上総掘り」という方法があります。重たい鉄の管を何回も何回も地中に落とすことによって、徐々に井戸を掘り進んでゆく方法のようです。聖書を掘り下げるにも、上総掘りのように何回も何回も、同じ箇所を読むことが大切なのです。このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
「ペテロの手紙」 に学ぶ : 第92講
■ 今日の「井戸掘り」

   「キリストは天に上り、御使いたち、および、もろもろの権威と権力を従えて、神の右の座におられます。」                                      ペテロの手紙3:22 

  ■ 井戸を掘りましょう:

   22節は、復活された後にキリストがどうされたか、という質問に答えるものでしょう。「キリストの昇天、神の右への着座」が語られています。

   ペテロは、ペンテコステの日の説教の中で「神の右に上げられたイエスが、御父から約束された聖霊を受けて、今あなたがたが見聞きしているこの聖霊をお注ぎになったのです」(使徒2:33)と語りました。ペテロは、ペンテコステの日の、その聖霊の注ぎを受けた弟子たちの一人でした。

   さて「神の右の座におられ」るキリストは「御使いたち、および、もろもろの権威と権力を従えて」おられると言われています。ここにおける「および」は、「すなわち」といった説明的な意味に取ったほうが分りやすいでしょう。御使いたちが「もろもろの権威と権力を」有しており、そのような御使いたちを、キリストは、第二位の神として、従えておられるのです。

   エホバの証人たちは、受肉以前のキリストは天使ミカエルであると主張しています。しかし、キリストは受肉以前も、昇天以後も、天の御使いたちより、さらに勝れたお方です(ヘブル1:4)。ただ、肉体の制約を身にまとって、地上におられた33年の年月の間は「御使いよりも、、、、低くされた」(ヘブル2:9)のでした。

   この節に書かれていることを集約すると「イエスは主である」と言うことに尽きます。初代教会、そして、その時代のクリスチャンたちは、ローマ帝国による激しい迫害の中で、このことを命懸けで主張したのでした。

高知県・越知町の大樽の滝

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