. . 聖書・「神のみことば」は、真理の尽きない泉です。深く掘れば掘るほど、豊かな甘い水を湧き出します。日本古来の井戸掘りの技術に「上総掘り」という方法があります。重たい鉄の管を何回も何回も地中に落とすことによって、徐々に井戸を掘り進んでゆく方法のようです。聖書を掘り下げるにも、上総掘りのように何回も何回も、同じ箇所を読むことが大切なのです。このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
「ペテロの手紙」 に学ぶ : 第93講
■ 今日の「井戸掘り」

   「このように、キリストは肉体において苦しみを受けられたのですから、あなたがたも同じ心構えで自分自身を武装しなさい。肉体において苦しみを受けた人は、罪とのかかわりを断ちました。」                                      ペテロの手紙4:1 

  ■ 井戸を掘りましょう:

   2章21節に「キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残されました」と書いたペテロは、再び「キリストは、、、」と、キリストの模範へと読者の思いを向けようとするのです。キリストを模範として「同じ心構えで自分自身を武装しなさい。」

   パウロは、エペソ人への手紙の中で「神の武具を身に着けなさい」と書きましたが、ローマ時代、恐らく、至るところでローマ兵を見かけることがあったのでしょう。彼らの「武装」して隙のない姿は印象的であったに相違ありません。ペテロも「武装しなさい」と勧めます。ただし、ペテロの場合、身につけるべきことは、キリストと「同じ心構え」です。

   そして「肉体において苦しみを受けた人は、罪とのかかわりを断ちました」と実例を挙げて、肉体にあって苦しみことが無駄ではないことを書き綴ります。「罪から来る報酬は死で」あり、また「苦しみ」です。罪の結果苦しむことを経験をした人々は、その経験を通して罪と関わることの愚かさを悟って、その関わりを絶つようになります。「幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人」と詩篇一篇にあります。

   神の子となったことの祝福・恵みは、その新しい誕生の経験に、罪に打ち勝つ力が備えられていると言うことです。「罪とのかかわりを断つ」恵みが、そこにあるのです。単なる人間的な努力の結果としてではなく、新生と呼ばれる経験のうちに、今まで持っていなかった罪に抵抗する力を見出します。また、その新しいいのちは、聖きを慕わせる恵みでもあります。

高知県・越知町の大樽の滝

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