■ 今日の「井戸掘り」■ 井戸を掘りましょう:
「彼らは、あなたがたが自分たちといっしょに度を過ごした放蕩に走らないので不思議に思い、また悪口を言います。」 ペテロの手紙4:4
クリスチャン生涯とは、創造主である神を知らない異邦人と一線を画した生き方をすることです。ペテロの手紙の読者たちの生き方は、正にそうでした。彼らは、彼らの過去と決別したのみか、彼らを取り囲む異邦人社会とも決別したのです。ただし、後の中世に、世を避けて修道院に入り、世と決別して隠遁生活をした人々とは異なって、社会にありながらその汚れた社会とは一線を画して、周囲の人々とは異なった生き方をしたのです。これこそ新約聖書に言う「きよめの生涯」、「あらゆる行いにおいて聖なるものとされ」た生涯でした。
旧約聖書のレビ記を見ますと、そこには、神のためにその民があらゆることにおいて聖め別たれ、周辺諸国の民とは一線を画して生きる道が示されています。それは、やがて来る新約の時代に、新しい神の民であるクリスチャンたちが、周囲の異教社会と一線を画して、彼らとは異なった生き様をすることの雛型でした。
周囲の異邦人たちにとっては、神の民が異なった生き方をして、彼らとともにが放蕩に走らないことが不思議でならなかったのです。また、癪に障ってならなかったのです。異邦人は、さまざま悪口をついて、クリスチャンたちの生き方を非難しました。
彼らの悪口・讒言は、やがて、ことばだけの非難に止まらないで、皇帝ネロの時代を堺にして、ローマ帝国の権力による迫害へと変わっていったのです。クリスチャンを迫害したその理由が教会歴史家によって指摘されていますが、それは次のようなものでした。
クリスチャンは「人肉を食べている」、「不道徳を行っている」、「反政府・反社会的だ」。特に、この最後の非難は、クリスチャンたちが、競技場で異邦人とともに大騒ぎをすることを止めたので、浴びせられた誹謗でした。
