. . 聖書・「神のみことば」は、真理の尽きない泉です。深く掘れば掘るほど、豊かな甘い水を湧き出します。
このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
「ペテロの第二の手紙」 を読む : 第11講
■ 今日の「井戸掘り」

「ですから、兄弟たちよ。ますます熱心に、あなたがたの召されたことと選ばれたこととを確かなものとしなさい。これらのことを行っていれば、つまずくことなど決してありません。」. . . . . ペテロの第二の手紙1:10A 

  ■ 井戸を掘りましょう:

   「つまずくことなど決してありません」―人は、大きなものにつまずくことはなく、つまずくときは、小さなものにつまずきます。信仰の世界においても同様で、クリスチャンがつまずくときは、「小さな」と言えることに躓くのです。

   しかし、この節には、躓かないですむ道が示されています。すなわち「召されたことと選ばれたこととを確かなものと」することによってです。では、どのようにして、それらのことを確かなものとすることができますでしょうか。

   自転車は、こぎ続け、走り続けているかぎり、転倒しません。それと同様に、信仰者は「信仰に徳を、徳に知識を、知識に自制を、、、」と前に向かって、上に向かって、前進することによって「召されたことと選ばれたこととを」確かなものとして、そうすることによって、つまずきを避けることができるのです。

   それにしても、信仰者が躓く小さなこととはどのようなことでしょうか。小石は道のどこにでも転がっていますので、そのすべてを拾ってゆく訳には行きませんが、その幾つかに目を留めると、以下のようなものがあるのではないでしょうか。

   先ず、牧師・伝道者の非常識です。教会の働き人とは、霊の世界に生きる人であるとともに、この世に生きている人々に仕えるのですから、この世の仕来り、常識を弁えていなければなりません。それを欠いていること、すなわち、牧師・伝道者の非常識が、しばしば教会員のつまずきとなるのです。そのような事態を避けましょう。
■ キリスト、ペテロの足を洗う

高知県・越知町の大樽の滝   ☆印をクリックしてください


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