. . 聖書・「神のみことば」は、真理の尽きない泉です。深く掘れば掘るほど、豊かな甘い水を湧き出します。
このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
「ペテロの第二の手紙」 を読む : 第14講
■ 今日の「井戸掘り」

「私が地上の幕屋にいる間は、これれのことを思い起こさせることによって、あなたがたを奮い立たせることを、私のなすすべきことと思っています。」. . . . . ペテロの第二の手紙1:13 

  ■ 井戸を掘りましょう:

   肉体にあって地上にあることを、パウロもペテロも「地上の幕屋にいる間」と表現しています。「幕屋」は、石造りの堅固な建造物との比較で、朽ちるもの、壊れやすいものとのイメージで用いられています。彼らの理解では、地上生涯は所詮、儚いものなので朽ちてゆく「幕屋」に例えられるのです。

   ペテロは、14節に、自分の生涯が終わりに近づいていることを自覚しているように書いています。しかし、主によって生かされ、この地上にある限り、彼にできることは、読者たちにかって語った真理を思い起こさせることでした。人は、忘れやすいものです。一旦心に留めた真理でも、又しても、それが語られ、強調されませんと、その真理をやがて心の片隅に追いやってしまいます。

   人の心の中は、押入れのようで、いらなくなった、しばらく用いなくなったというものは、奥へ奥へと押し込んで、やがて、そこに何があるかさえ、忘れてしまいます。同様に、心も絶えずそこにに蓄えた知識を整理していて、用いなくなると奥へ奥へと押しやって、簡単に引き出せなくしてしまうようです。それが「忘れる」と言う現象で、実際は、忘れたと思っていることも、それを引き出すヒントさえ見つかれば、引き出すことができるのだそうです。「忘れる」とは、心の押入れからそれが失われるのではなく、簡単に引き出せないところに押し込んでしまっただけのようです。

   それで大切なことは、しばしば思い起こしては、いつでも用いることのできるところに置いておかなければなりせん。ペテロが晩年に果たした役割は「思い出させる」という役割だったのです。脳の働きが老化して、新しい真理を究明し、それを解き明かすことができなくなっても、古い真理を、かった語ったことのある真理を、又しても語って「思い起こさせる」働きも大切なのです。

■ キリスト、ペテロの足を洗う

高知県・越知町の大樽の滝   ☆印をクリックしてください


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