. . 聖書・「神のみことば」は、真理の尽きない泉です。深く掘れば掘るほど、豊かな甘い水を湧き出します。
このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
「ペテロの第二の手紙」 を読む : 第16講
■ 今日の「井戸掘り」

「それは、私たちの主イエス・キリストも、はっきりお示しになったとおり、私がこの幕屋を脱ぎ捨てるのが間近に迫っているのを知っているからです。」. . . . . ペテロの第二の手紙1:14 

  ■ 井戸を掘りましょう:

   通常、私たちは自分の死期を知ることはありません。しかし、ペテロは、彼の置かれていた激しい迫害というローマ時代の特別な情況から、殉教による死の時が近いことを意識していたようです。それを、彼は「主イエス・キリストがお示しになった」ものとして意識しています。

   私たちは、自分の生涯の締めくくりが近づいていることを自覚した時、残された時間に何をしようとするでしょうか。ペテロは、この手紙を書き認め、読者であるクリスチャンたちに、かって自分が語った真理を思い起こさせることに心を用いたのです。

   ジョン・ウエスレーは、同じ質問を受けたとき、すなわち、自分の生きられる日々が残り僅かになったことを知らされた時、何をするかとの質問に対して「いつも通りに」と応じたと言われています。「いつも通りに」―そのように答えられる人は幸いです。ペテロは、そのように言いはしませんでしたが、そのように生きたのです。いつも通りに、ひとりの牧者として、自分に割り当てられた羊たちのことを思い、彼らの信仰の建て上げのために、自分のできることをしようとしているのです。

   私たちは、死期が迫っているのを知った時、何をするでしょうか。何をしたいでしょうか。

■ キリスト、ペテロの足を洗う

高知県・越知町の大樽の滝   ☆印をクリックしてください


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