. . 聖書・「神のみことば」は、真理の尽きない泉です。深く掘れば掘るほど、豊かな甘い水を湧き出します。
このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
「ペテロの第二の手紙」 を読む : 第17講
■ 今日の「井戸掘り」

「また、私の去った後に、あなたがたがいつでもこれらのことを思い起こさせるよう、私は努めたいのです。」                ペテロの第二の手紙1:15 

  ■ 井戸を掘りましょう:

   13節には「地上の幕屋にいる間は」とあり、15節には「私の去った後に」とあります。ペテロは、真理がそれを教えた人の生き死にと関係なく、クリスチャンの心に留まり、それが彼らの日常生活の中で生かされるようにと願っているのです。

   人は如何に忘れやすいか、ペテロは知っていました。それで、彼は「思い起こさせるよう」にと努力し、その努力が空しくならないように最大限の工夫を凝らしているのです。

   ペテロがそれほどまでに忘れて欲しくないと願った真理とは、どのような真理だったのでしょうか。「これらのこと」とありますので、一つのことではないようです。幾つかの真理。それらはどのような真理なのでしょうか。先ず、16節には「主イエスの力と来臨とを知らせました」とあります。「力と来臨」というギリシャ語の表現は「力に満ちた来臨」と理解すべきでしょう。二つのことばが並べられている時、しばしば、片方がもう片方を修飾するのがギリシャ語の常です。

   主イエスの「力に満ちた来臨」は、主イエスの「謙卑に満ちた来臨」と対比されるもので、主イエスが再び来られる時には、最初のクリスマスの時のように、ひとりの赤ちゃんとして、静かに、また、密かに、来られるのではありません。力をもって臨まれるのです。それが「力と来臨」の意味するところです。

■ キリスト、ペテロの足を洗う

高知県・越知町の大樽の滝   ☆印をクリックしてください


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