. . 聖書・「神のみことば」は、真理の尽きない泉です。深く掘れば掘るほど、豊かな甘い水を湧き出します。
このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
「ペテロの第二の手紙」 を読む : 第18講
■ 今日の「井戸掘り」

「私たちは、あなたがたに、私たちの主イエス・キリストの力と来臨とを知らせましたが、それは、うまく考え出した作り話に従ったのではありません。この私たちは、キリストの威光の目撃者なのです。」           ペテロの第二の手紙1:16 

  ■ 井戸を掘りましょう:

   先回も少し触れたように、「これらのこと」とペテロが言っていることの第一のことは、「キリストの力と来臨」です。「力と来臨」が「力に満ちた来臨」を意味し、キリストの初臨、すなわち、最初のクリスマスにおけるキリストの謙卑の様と対照されていることは既に書きました。

   さて、今回は「これらのこと」の第二の真理へ心を向けましょう。第19節以下に「さらに確かな予言のみことばを持っています」とあって、聖書の確かさが述べられています。ペテロは最終的には、読者の関心を聖書に向け、そこに信仰の基礎を築かせようとしていたのです。

   ここで、ペテロたち使徒の体験よりも、聖書のほうが「更に確かな」ものとして指摘されていることに注目しましょう。

   主イエスが天に昇られる前に、弟子たちの関心を「モーセの律法と予言者と詩篇」とに向けさせたことがありましたが、使徒たちは、そのことをよく記憶していて、自分の後代のクリスチャンの関心を、主イエスがされたように、聖書に向けさせようとしているのです。神の子とは、神のみことばに信頼を置き、それに従う者たちです。

■ キリスト、ペテロの足を洗う

高知県・越知町の大樽の滝   ☆印をクリックしてください


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