. . 聖書・「神のみことば」は、真理の尽きない泉です。深く掘れば掘るほど、豊かな甘い水を湧き出します。
このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
「ペテロの第二の手紙」 を読む : 第2講
■ 今日の「井戸掘り」

   「神と私たちの主イエスを知ることによって、恵みと平安が、あなたがたの上に豊かにされますように。」                 ペテロの第二の手紙1:2 

  ■ 井戸を掘りましょう:

   まず心に留まるのは、神と主イエスが同列に並べて語られている事実です。主イエスの神性に関して、初代教会が揺るがない信仰を持っていた証しです。エホバの証人の方々と話し合ったことがありましたが、私が提示した論点は、この点で、黙示録の4章から5章にかけての天の礼拝の場面で、頌栄が御父と御子(子羊)とに交互に捧げられている事実でした。御父と御子とが同じく礼拝の対象であることは、黙示録のこの場面を見るかぎり否定できない事実です。

   御父、また、主イエスを知ることの恵み、結果が「、、、知ることによって、恵みと平安が、豊かにされますように」と言う挨拶の中で語られています。ここに「知る」と言うとき、単なる知識としての知り方ではないことを弁えることが大切です。聖書では「知る」と言うとき、それが夫婦の合一において用いられているように、人格的な深い「知」・交わりが意味されています。

   読者が「恵みと平安」とを既に有していることを確信してのことでしょう。「恵みと平安とがありますように」という挨拶ではなく、「恵みと平安とが豊かにされますように」と祈られていることは興味深いことです。信仰者である読者のものと既になっている「恵みと平安」とが、主イエスを知るにつれて、益々豊かになってゆく、、、と語られています。信仰生涯は、この意味で絶えざる成長の生涯でなければなりません。ペテロの第二の手紙の締めくくりには「私たちの主であり救い主であるイエス・キリストの恵みと知識とにおいて成長しなさい」と勧められています。

■ キリスト、ペテロの足を洗う

高知県・越知町の大樽の滝   ☆印をクリックしてください


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