. . 聖書・「神のみことば」は、真理の尽きない泉です。深く掘れば掘るほど、豊かな甘い水を湧き出します。
このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
「ペテロの第二の手紙」 を読む : 第22講
■ 今日の「井戸掘り」

「また、私たちは、さらに確かな預言のみことばを持っています。夜明けとなって、明けの明星があなたがたの心の中に上るまでは、暗いところを照らすともしびとして、それに目を留めているとよいのです。」           ペテロの第二の手紙1:19 

  ■ 井戸を掘りましょう:

   ペテロ初め、3人の使徒たちが経験した神秘的な体験よりも「さらに確かな」ものとして、「預言のみことば」が指摘されています。ここに「預言」は、未来のことに言及するという狭い意味での「予言」と取るよりも、広い意味で、神のことばを預かるものとしての「預言」と取ったほうがよいでしょう。「予言」と「預言」、「よ」の字に当たる漢字を使い分けることによってこの二つを区別しています。「預言のみことば」とは、聖書のみことばのことです。ペテロは、預言として、神のみことばである聖書に「目を留めているとよい」と言います。

   さて「夜明けとなって、明けの明星が、、、上るまで」とありますが、いつのことを心に描いてそのように書いているのでしょうか。2章、3章と読み進んでゆくと、ペテロが心に抱いていた「夜明け」が何時なのかがはっきりしてきます。

   「目を留めているとよい」―大海原に出て舟を操る人々が、北極星に目を留めて、自分の舟の位置を確かめ、航路を決めるように、聖書の預言的なみことばに心を向けて、目を離さないことが大切です。それが確かな人生を歩むのに必要なことなのです。多くの人は、そのような基準となる星を、人生の航路で見出せないので、右往左往しています。人生の荒波にただ翻弄されて、行く手が定まらないのです。そうならないために、聖書のみことばに確り「目を留めて」いましょう。

■ キリスト、ペテロの足を洗う

高知県・越知町の大樽の滝   ☆印をクリックしてください


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