. . 聖書・「神のみことば」は、真理の尽きない泉です。深く掘れば掘るほど、豊かな甘い水を湧き出します。
このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
「ペテロの第二の手紙」 を読む : 第25講
■ 今日の「井戸掘り」

「しかし、イスラエルの中には、にせ預言者も出ました。同じように、あなたがたの中にも、にせ教師が現れるようになります。彼らは、滅びをもたらす異端をひそかに持ち込み、自分たちを買い取ってくださった主を否定するようなことさえして、自分たちの身にすみやかな滅びを招いています。」           ペテロの第二の手紙2:1 

  ■ 井戸を掘りましょう:

   何をもって真偽を判断したらよいでしょうか。どのようにして正統的信仰か異端かを判断したらよいでしょうか。その鍵は「主を否定する」のか、聖書が教えるままに主を受け入れるか、にあります。そして、聖書が教える主とは、ご自身の十字架の死によって私たちを贖ってくださり、3日目に死者の中から甦られた主だということです。

   旧約の時代に、イスラエルの中に偽預言者が現れて民を惑わしたように、新約の時代にも、教会の中に偽教師が現れて、神の子たちを誤った教えに引き込もうとします。このような事態は、旧新約の時代を通して避け得ない情況なのです。

   ですから、神の民は、偽預言者、偽教師、すなわち、異端を持ち込もうとする人々に対応する術を身につけていなければなりません。しかし、教会は、必ずしも異端か否かの判断において常に正しい判断を下してきたとはいえないのです。

   宗教改革の時代、改革ののろしを挙げた人々は、ローマ・カソリック教会からは、異端として糾弾され、破門されました。また、後には、アルメニアン主義の神学に立った人々は、ドルトの会議において、改革派の神学者から、異端として排斥されたのです。何が異端かの基準が「聖書の教えるままの主を受け入れるか」、または、否定するかではなく、他のところに置かれたからでした。

■ キリスト、ペテロの足を洗う

高知県・越知町の大樽の滝   ☆印をクリックしてください


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