このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
■ 今日の「井戸掘り」
「また、ソドムとゴモラの町を破滅に定めて灰にし、以後の不敬虔な者へのみせしめとされました。」 ペテロの第二の手紙2:6
■ 井戸を掘りましょう:
「ソドマイト(男色)」という英語ができたように、ソドムの町の不道徳は有名でした。アブラハムの甥ロトが、その近くに移り住んだ町です。豊沃で、人間的には、魅力ある場所だったからです。しかし、豊かさは人を傲慢にし、やがて、創造主である神を忘れてしまう結果を招きます。そして、常のように、人は一旦、神を心から離してしまうと、与えられている欲望の暴走に歯止めが利かなくなります。自己中心に思うままに振舞うようになってくるのです。その結果が不道徳です。ソドムの町は、神が最早見過ごしにできないほど堕落しきっていました。
神は、憐れみに富んだお方であるゆえに、その害悪が他の町々に飛び火しないように、ソドムの滅亡を定められたのでした。時が来たなら、神は決して容赦なさいません。ペテロは、ソドムとゴモラの滅亡は「以後の不敬虔の者たちへの見せしめ」のためだった、と書いています。不敬虔が、どのように恐ろしい結果を招くかは、歴史が証明していて、歴史のページに明瞭に書きしるされています。
しかし、人は、そのレッスンを学ぶことに遅く、歴史の中に見る事例があるのに、それが警告のメッセージを発していることに気づきません。そして、人は過去の愚行を繰り返すのです。
現代社会、東京の歌舞伎町などの都会の繁華街で行われていることは、ソドムで行われていたこととさして変わらないのではないでしょうか。義なる神は何時まで、そのような不敬虔・不義を見過ごして置かれることでしょうか。
■ キリスト、ペテロの足を洗う