. . 聖書・「神のみことば」は、真理の尽きない泉です。深く掘れば掘るほど、豊かな甘い水を湧き出します。
このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
「ペテロの第二の手紙」 を読む : 第40講
■ 今日の「井戸掘り」

   「彼らは不義の報いとして損害を受けるのです。彼らは昼のうちから飲み騒ぐことを楽しみと考えています。彼らは、しみや傷のようなもので、あなたがたといっしょに宴席に連なるときに自分たちのだましごとを楽しんでいるのです。」                   ペテロの第二の手紙2:13 

   「彼ら」とは、9節にある「不義な者ども」のことで、彼らが行っている不義が、10節に描かれていました。この13節では、彼らが、その不義の報いといて損害を受けると宣言されています。そして更に、彼らの不義の行いが言及されています。彼らは「昼のうちから飲み騒ぐことを楽しみと考えています。」

   「自分たちのだましごとを楽しんでいる」とありますが、この「だましごと」は、異本では、すなわち系列の異なった写本の読みでは、「愛餐」とあると欄外註にあります。不義な者たちが、クリスチャンと一緒に宴席、すなわち、愛餐に連なることは、「だましごと」に過ぎないのです。彼らは、その交わりに加わる資格のない人々だからです。彼らは、その事実を無視して、宴席に連なり、愛餐を楽しんでいたのでしょう。しかし、彼らがどのようない考えようとも、それは「だましごと」にしか過ぎません。

   最初に戻って「損害を受けるのです」とありましたが、どのような損害を受けるのでしょうか。「だましごと」に生きる人々は、自らを欺くことによって、更に自分の心を真理から遠ざけてしまいます。それは大きな損害ではないでしょうか。彼らが、もし悔い改めて真理に立ち返るなら、彼らは真の交わりを経験することが出来るでしょう。その交わりとは「御父および御子イエス・キリストとの交わりです」(第一ヨハネ1:3)。しかし、悔い改めることをしないで、偽善的に、クリスチャンの交わりに加わっていることによって、彼らは悔い改めの機会を見失っているのです。真の霊的な交わりを享受することなしに、すなわち、御父と御子イエス・キリストとの交わりを知らないままで、クリスチャンの愛餐・宴会に上辺だけで加わっているに過ぎないのに、それに満足してしまっています。これは「だましごと」であり、それによって、彼らは大きな損失を蒙っているのです。

■ 井戸を掘りましょう:

   

■ キリスト、ペテロの足を洗う

高知県・越知町の大樽の滝   ☆印をクリックしてください


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