このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
■ 今日の「井戸掘り」
「その目は淫行に満ちており、罪に関しては飽くことを知らず、心の定まらない者たちを誘惑し、その心は欲に目がありません。彼らはのろいの子です。」 ペテロの第二の手紙2:14
■ 井戸を掘りましょう:
「肉に従って歩」んでいる者たちの描写が、なお続いています。彼らの目は「淫行に満ちています。」 主イエスは、山上の説教の中で「『姦淫してはならない』と言われたのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。誰でも情欲をいだいて女お見る者は、すでに心の中で姦淫を犯したのです。」と語られました。ペテロが、言及している人々は、正にそのような人々でした。彼らの視線は淫らな視線でした。
罪を犯し続けると、最初は敏感だったとしても、良心の働きがだんだん鈍化して、罪を罪と意識し出来なくなります。これが、彼らが陥っている「罪に関しては飽くことを知ら」ない状態です。彼らは性的な欲望ののみか、金銭欲においてもコントロールが効かず、「その心は欲に目がありません。」
更に問題なのは、彼ら自身がそのような状態であるのみか、彼らは「心の定まらない者たちを誘惑し」、自分たちと同様の生き様へと、そのような人々を引き込んでゆきます。それですから、彼らは「のろいの子」と言われています。この節の欄外註にはエペソ人への手紙2章3節が記されていて、その節には「生まれながら御怒りを受けるべき子」と言う表現が見出されます。彼らも、その創造において、神によっていのちを与えられたと言う点で、神の子であることには違いがありません。しかし「のろいの子・怒りの子」なのです。彼らの犯している罪のゆえに、神は、彼らを愛する子としては受け入れることが出来ないのです。彼らは神の御怒りの対象であり、その結果、のろわれている立場にあります。
■ キリスト、ペテロの足を洗う