. . 聖書・「神のみことば」は、真理の尽きない泉です。深く掘れば掘るほど、豊かな甘い水を湧き出します。
このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
「ペテロの第二の手紙」 を読む : 第42講
■ 今日の「井戸掘り」

   「彼らは正しい道を捨ててさまよっています。不義の報酬を愛したベオルの子バラムの道に従ったのです。しかし、バラムは自分の罪を咎められました。ものを言うことのないロバが、人間の声でものを言い、この預言者の気違い沙汰をはばんだのです。」                   ペテロの第二の手紙2:15、16 

■ 井戸を掘りましょう:

   彼ら、すなわち、不義な者どもは、正しい道、信仰の道、聖潔の道を捨てた結果、さまよっているのです。それは「不義の報酬を愛したバラムの道」だと言われています。

   バラムとは、旧約聖書・民数記22章に登場するイスラエルの預言者です(この箇所を読むことをお勧めします)。モアブの王バラクの誘いを、最初はもっともらしいことを述べて断っていたのですが、結局、欲に目が眩んで、バラク王の要望に応えてしまいました。そして、「不義の報酬」と言われている不正な行為によって得た報酬を得ました。

   しかし、ペテロの手紙の16節に書かれているように、神は奇跡的な手段によって介入し、ロバの口を通して語りかけなさいました。この預言者は、表面的には、主の御使いのことばに従って、バラクの要望に応えることを止めるかのように見えますが、人の心を知りたもう神は、バラムの「私は罪を犯しました。私はあなたが私をとどめようと道に立ちふさがっておられるのを知りませんでした。今、もし、あなたのお気に召さなければ、私は引き返します」といっていることばは、彼の本心ではないことをご存知でした。

   それで主は「この人たちといっしょに行け。だが、わたしがあなたに告げることばだけを告げよ」と仰いました。バラムは、わが意を得たりとばかり、バラクとともに行ってしまうのです。このバラムと主とのやり取りで、注目しなければならないのは、バラムのことば「もし、あなたのお気に召さなければ、、、」です。主のみこころではないことを重々知りながら、それとは異なった自分の願望を押し通そうと言う意図が、意識的に無意識のうちにあるので、その主のみこころが曇ってしまって、判らなくなってしまった状態です。

   そのような時、みこころに背いている人は、主のみこころが、実はそうではないにも拘らず、自分の願望と一致するまでは、主のみこころと自分が思えることを、又しても求め続けるのです。主がさじを投げて“おまえの願うとおりにするがよい”と仰れば、待ってました、とばかり、自分の願望の道へ走ってゆきます。しかも自分では、それが主のみこころの道であることを確信してなのです。バラムのケースは正にそのようなケースでした。

■ キリスト、ペテロの足を洗う

高知県・越知町の大樽の滝   ☆印をクリックしてください


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