. . 聖書・「神のみことば」は、真理の尽きない泉です。深く掘れば掘るほど、豊かな甘い水を湧き出します。
このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
「ペテロの第二の手紙」 を読む : 第43講
■ 今日の「井戸掘り」

   「この人たちは、水のない泉、突風に吹き払われる霧です。彼らに用意されているものは、真っ暗な闇です。」                   ペテロの第二の手紙2:17 

■ 井戸を掘りましょう:

   「不義な者ども」は「水のない泉」、すなわち、役立たないもの、「突風に吹き払われる霧」、儚いものであって、そこにあったと思っていたら、次の瞬間には消え去ってしまう存在です。

   このような人々に備えられているものは、光の父の祝福ではなく「闇」、それも光一つない「真っ暗な闇」です。初めに「光があった」(創世記1:3)ように、光は、すべての祝福・希望・幸福の始まる点です。光がなく「真っ暗」であることは、それらがすべて欠如している状態で、その状態こそが「地獄」といわれるものの状態です。

   不義な者どもが、地上でどのような繁栄・栄華に与ろうとも、彼らの最後は、惨めなもので、彼らは、サタンとともに「真っ暗な闇」に閉じ込められる神の定めのもとにあるのです。諺に「終わり善ければ、すべて善し」と言われていますが、これは地上生涯にのみ関係したことではありません。現世でのいのちを超えた後のいのちをも含めて、私たちの「終わり」がどのようになるかを考えなければなりません。

   不義な者どもの、地上生涯の締め括りは、一見、繁栄と栄華に満ちているような見えるかもしれません。しかし、それは、真の締め括りではないのです。劇場のことばを使えば、最後の一幕がまだ残っているのです。その最後の一幕で、思いがけない、どでん返しがあるのです。なぜなら、神は欺かれるお方ではないからです。神は、その裁きにおいて過つことはありません。

■ キリスト、ペテロの足を洗う

高知県・越知町の大樽の滝   ☆印をクリックしてください


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