. . 聖書・「神のみことば」は、真理の尽きない泉です。深く掘れば掘るほど、豊かな甘い水を湧き出します。
このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
「ペテロの第二の手紙」 を読む : 第44講
■ 今日の「井戸掘り」

   「彼らは空しい大言壮語を吐いており、誤った生き方をしていて、ようやくそれをのがれようとしている人々を肉欲と好色によって誘惑し、」                   ペテロの第二の手紙2:18 

■ 井戸を掘りましょう:

   「不義な者ども」の描写が再びなされています。「誤った生き方をしていて」が最初に来るべきでしょう。既に書かれていたような「誤った生き方をして」いるのに、彼れらは、それを恥じようともしないで「大言壮語を吐いて」いるのです。

   「誤った生き方を」ようやく逃れようとしていた人々が、その大言壮語のゆえに、彼らに聞き従い、彼らの誤った生き方、肉欲と好色へと惹かれていってしまいます。

   折角「誤った生き方」から逃れかけていた人々が、再びそのような生活に戻ってしまうのは、彼らの「心が定まっていない」からだと、14節に書かれていました。「心が定まっていないと」誘惑に陥り易いのです。それにしても私たち人間は、肉欲と好色に対してあまりにも無防備です。

   それは、アダム以来、神を見失ってしまった人の中に巣食うようになった罪の影響で、それを逃れることのできる人はいません。主イエスを信じることによって注がれる、聖霊によって生きるときのみ、それらに打ち勝つことができるのです。生まれつきのままと言われる状態では、これらの打ち勝つ術はないのです。

   主イエスを信じ、受け入れた人々は、御霊によって歩み始めて、そのような「誤った生き方を」逃れつつあったのです。しかし、誘惑に負けて、御霊による歩みを止め、「肉」によって歩む、すなわち、神から離れて生きようとすると、再び、肉欲と好色の世界に逆戻りしてしまいます。その切っ掛けとなるのが、不義な者たちの「大言壮語」なのです。彼らは言葉巧みに、人々を自分たちと同じ生き方をするように誘うのです。

■ キリスト、ペテロの足を洗う

高知県・越知町の大樽の滝   ☆印をクリックしてください


Copyright2004 PZH
Allrights reserved. 許可なく転載を禁じます。

■ トップ・ページにもどる