. . 聖書・「神のみことば」は、真理の尽きない泉です。深く掘れば掘るほど、豊かな甘い水を湧き出します。
このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
「ペテロの第二の手紙」 を読む : 第45講
■ 今日の「井戸掘り」

   「その人たちに自由を約束しながら、自分自身が滅びの奴隷なのです。人はだれかに征服されれば、その征服者の奴隷となったのです。」                   ペテロの第二の手紙2:19 

■ 井戸を掘りましょう:

   「不義な者ども」が大言壮語することは、“自分たちの生き方に従えば自由がある”ということで、「自由を約束し」ます。しかし、それはことばだけの空手形で、彼ら「自身が滅びの奴隷」なのですから、人に自由を与えることができる筈がありません。

   ローマ時代、人口の3分の2は、奴隷だったと言われています。自由人、すなわち、ローマの市民権を持った人々のほうが割合としては少なかったのです。それぞれの自由人の家には、複数の奴隷がいて、家事から子どもの教育まで奴隷が行っていました。近代の黒人奴隷と異なって、ローマ時代の奴隷は、戦争で敗れた国の市民が、征服者の奴隷となったケースがかなりありますので、奴隷のほうが主人となった人々より、教育も教養もあるといった場合もしばしばでした。そのような奴隷は「だれかに征服され」たので「その征服者の奴隷となったのです」。

   戦争の敗北者の他に、自分の借金が支払えないで、借金の肩代わりとして、自分の身を売って奴隷となった人々もいました。ローマ社会は、奴隷の労働によって機能していた社会でした。このような社会状況を背景として、パウロは、罪の奴隷・神の奴隷と、奴隷のイメージを用いて霊的な真理を展開してゆきます。当時の人々には、わかり易い譬えだった訳です。

■ キリスト、ペテロの足を洗う

高知県・越知町の大樽の滝   ☆印をクリックしてください


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