. . 聖書・「神のみことば」は、真理の尽きない泉です。深く掘れば掘るほど、豊かな甘い水を湧き出します。
このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
「ペテロの第二の手紙」 を読む : 第46講
■ 今日の「井戸掘り」

   「主であり救い主であるイエス・キリストを知ることによって世の汚れからのがれ、その後再びそれに巻き込まれて征服されるなら、そのような人たちの終わりの状態は、初めの状態よりももっと悪いものとなります。」                   ペテロの第二の手紙2:20 

■ 井戸を掘りましょう:

   改革派神学を簡潔に紹介するものとして、よく「TULIP」という英語が用いられます。今回は、最初の4つをスキップすることとして、この聖句との関連において、最後の「P」を取り上げます。「P」は「Perseverance of Saints」の頭文字で「永久保全」とか「聖徒の耐忍」とか言われることを表しています。カルヴァン主義の特徴の一つです。「永久保全」が意味するところは、人は一旦救われたら、その人はその後、どのような信仰状態・道徳状態にあっても、最終的に救われないことはない、と言う教えです。多くの人は、この「永久保全」の教理に安心感を覚えています。

   しかし、今朝の聖句によると、一旦、主イエスを知って、世の汚れを逃れた後、再びもとの状態に逆戻りしてしまう人があると言うのが実際です。ペテロは、単なる仮説として、そのようは場合を想定しているのではありません。現実にそのような事態が生じることを弁え知って、それに対する警戒のことばを書き綴っているのです。「そのような人たち」とは、神学上の議論のために持ち出されているのではなく、ペテロは実際に「そのような人たち」を目の当たりにして、それらの人たちへの警戒のことばとして、この20節、21節を書き綴っています。

   ユダ書に「あなたがたを、つまずかないように守ることができ、傷のない者として、大きな喜びをもって栄光の御前に立たせることのできる方に」とありますので、神は、つまずきから信仰者を守って、その信仰を全うすることができるようにされることも事実です。しかし、そのような恵みが備えられているにも拘らず、ある人々は信仰の道から逸脱して、背教してゆきます。元の世へと戻ってしまうと言うことが起こります。そのような人々は、ペテロによれば、その「終わりの状態は、初めの状態よりももっと悪いものに」なるのです。真理の道に背くことは、恐ろしいことです。

■ キリスト、ペテロの足を洗う

高知県・越知町の大樽の滝   ☆印をクリックしてください


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