. . 聖書・「神のみことば」は、真理の尽きない泉です。深く掘れば掘るほど、豊かな甘い水を湧き出します。
このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
「ペテロの第二の手紙」 を読む : 第47講
■ 今日の「井戸掘り」

   「義の道を知っていながら、自分に伝えられたその聖なる命令にそむくよりは、それを知らなかったほうが、彼らにとってよかったのです。」                   ペテロの第二の手紙2:21 

■ 井戸を掘りましょう:

   「イエス。キリストを知ること」は「義の道」を歩むことなのだ、といことをある人々は理解していません。「永久保全」という誤った教えを受け入れて、偽りの安心感を心に抱いて、「義の道」を離れ、それを見失っても、なお、永遠のいのちは保証されていると思い込んでいる人々がいます。

   しかし、ペテロは「イエス・キリストを知ること」と「義の道を知ること」とを同義的と捕らえています。キリストにあって人生を歩むと言うことは、義の道・聖の道を歩むことに他ならないのです。「義の道」とは、キリストにあって義とされた者の道であり、「聖の道」とは、キリストにあって聖とされるための道です。

   この節で、ペテロは、その「伝えられた聖なる命令にそむいて」「義の道」に留まらず、また「聖の道」に歩み始めないで、世の汚れに逆戻りしてしまう人々のことを想定しています。そのようなことになるなら、「彼ら」にとって「義の道」を知らなかったほうがよかったと言っているのです。主イエスを知らなかったほうがよかった、、、。

   本当にそうでしょうか。主イエスを知らなかったほうがよかったとは言えません。これは、主イエス・キリストを知ったなら「義の道」に留まり続けるように、「聖の道」を歩むようにとの強い勧告なのです。

■ キリスト、ペテロの足を洗う

高知県・越知町の大樽の滝   ☆印をクリックしてください


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