このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
■ 今日の「井戸掘り」
「こういうわけですから、あなたがたは、あらゆる努力をして、信仰には徳を、徳には知識を、知識には自制を、自制には忍耐を、忍耐には敬虔を、敬虔には兄弟愛を、兄弟愛には愛を加えなさい。」. . . . . ペテロの第二の手紙1:5〜7
■ 井戸を掘りましょう:
神のご性質、すなわち「愛」に与るための道筋が示されています。ひとつひとつ加えてゆく品徳の最高峰に「愛」が位しています。これこそが、クリスチャンが与るべき「神のご性質」によって意味されているものです。「なぜなら神は愛だからです」(ヨハネの第一の手紙4:8)。
さて、神の愛への第一歩は信仰です。単なる人間的な修業や修養では、神の愛の高峰に到達することは望めません。信仰が、その頂上への翼を私たちに与えるのです。「信仰には徳を、徳には知識を、、、」。信仰は、すべてのものを牽引してゆく機関車の役割を果たしています。現代人の第一の問題点は、その機関車である信仰がないことです。また、信仰がないこともそうですが、知識を徳の前においていることが第二の問題点です。それで多くの賢い罪人を生み出しています。知識はもっていても、それに伴う品性・品徳が備わっていないので、得た知識を悪用して自己の満足を求める人があまりにも多いのが現代社会ではないでしょうか。
ペテロは、そのあたりをしっかり踏まえて「信仰には徳を、徳には知識を、、、」と書き綴ってゆきます。信仰が出発点なのです。「信仰がなくては、神の喜ばれることはできません」とヘブル人への手紙の記者は書いています(ヘブル11:6)。神の御嘉納なしには、愛への道筋を辿ることは不可能です。信仰によって、神に受け入れられて初めて、この神の愛への旅路が始まるのです。
■ キリスト、ペテロの足を洗う