. . 聖書・「神のみことば」は、真理の尽きない泉です。深く掘れば掘るほど、豊かな甘い水を湧き出します。
このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
「ペテロの第二の手紙」 を読む : 第6講
■ 今日の「井戸掘り」

「こういうわけですから、あなたがたは、あらゆる努力をして、信仰には徳を、徳には知識を、知識には自制を、自制には忍耐を、忍耐には敬虔を、敬虔には兄弟愛を、兄弟愛には愛を加えなさい。」. . . . . ペテロの第二の手紙1:5〜7A 

  ■ 井戸を掘りましょう:

   信仰に徳、徳に知識、、、さて、次に加えるべき品徳は「自制」です。徳の伴わない知識が濫用・悪用されていることを先回指摘しました。この課題を解決する策は「知識に自制」を加えることです。知識をどのように用いるか、悪きことのために用いるか、善いことのために用いるか、それを選択し、実行に移そうとするとき、必要なのが自制です。

   「自制」をしようとしますと、当然「忍耐」が要求されます。自制と忍耐とは、双子の姉妹で、常に共に行動します。自制のあるところには忍耐があり、忍耐があるところには自制があります。徳や知識は外側に向かう方向性を持っていますが、自制と忍耐は内側に向かう方向性を有しています。

   「忍耐」の次に記されているのが「敬虔」です。自制も忍耐も、単なる人間的な努力や修養の結果として生ずるものではなく、敬虔から生まれてくる品徳だからでしょう。パウロは「肉体の鍛錬もいくらかは有益ですが、、、、敬虔は、すべてに有益です」と断言しましたが、「敬虔」こそが、すべての品徳の湧き出てくる源泉なのです。神を敬い畏れる心は、すべての品徳の母親です。

   「信仰」は神に依り頼む姿勢、「敬虔」は神を敬いかしこむ姿勢です。この二つに挟まれて、「徳」、「知識」、「自制」、「忍耐」が並んでいます。

■ キリスト、ペテロの足を洗う

高知県・越知町の大樽の滝   ☆印をクリックしてください


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