. . 聖書・「神のみことば」は、真理の尽きない泉です。深く掘れば掘るほど、豊かな甘い水を湧き出します。
このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
「ペテロの第二の手紙」 を読む : 第7講
■ 今日の「井戸掘り」

「こういうわけですから、あなたがたは、あらゆる努力をして、信仰には徳を、徳には知識を、知識には自制を、自制には忍耐を、忍耐には敬虔を、敬虔には兄弟愛を、兄弟愛には愛を加えなさい。」. . . . . ペテロの第二の手紙1:5〜7B 

  ■ 井戸を掘りましょう:

   信仰の積み木の最後の段階は「敬虔に兄弟愛を、兄弟愛には愛を加え」ることです。信仰はすべてを引っ張る機関車としての大切な役割を担ってはいますが、信仰そのものが目標なのではありません。信仰は、間違って理解してはなりませんが、単なる手段に過ぎないのです。信仰の目標は「愛」にあります。パウロが言うように「信仰と希望と愛」とは、いつまでも残ります。しかし「その中で一番すぐれているのは愛」なのです(第一コリント13:13)。なぜなら「愛」こそが究極の目標だからです。

   ペテロは「愛」の前に「兄弟愛」を置いています。身近な兄弟を愛することなくしては、敵さえも含めたすべての人々への「愛」を持つことは不可能です。先ず、身近な兄弟姉妹を愛することから実践すべきでしょう。

   教会における兄弟姉妹の交わりにおいてでさえ、環境や育ちの違いがもたらす様々な、意見や考え方、やり口や性格の相違から、摩擦や問題が生じることがあるのです。それでも、お互いが主イエスを愛して生きているのですから、先ずその共通の基盤にたって、お互い愛することを学び、実践しましょう。そのような意味で、教会での交わりを否定しては、クリスチャンとしての成長の機会を失います。様々な、自分とは異なった人々に触れることによって、その考え方、行動に直面して、切磋琢磨されてゆくのです。それはさらに大きな「愛」の実践への準備といえます。

   「兄弟愛に愛を加えなさい」―信仰の歩みの最終段階が、ここに示されています。「兄弟愛に愛を加え」たとき、私たちは「神のご性質に与る者とされた」と真にいえるのです。神は、キリストにおいて、ご自分に敵対する世さえも愛されたのです。「愛」こそが神のご性質です。

■ キリスト、ペテロの足を洗う

高知県・越知町の大樽の滝   ☆印をクリックしてください


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