このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
■ 今日の「井戸掘り」
「その栄光と徳によって、尊い、すばらしい約束が私たちに与えられました。それは、あなたがたが、その約束のゆえに、世にある欲のもたらす滅びを免れ、神のご性質に預かる者となるためです。」. . . . . ペテロの第二の手紙1:4
■ 井戸を掘りましょう:
3節には「いのちと敬虔に関するすべてのこと」が私たちに与えられた(新改訳は「与えられます」)とあり、この4節には「尊い、すばらしい約束が与えられました」とあります。有名なヨハネによる福音書3章16節には「神はそのひとり子をお与えになった」とありますが、御子を与えることにおいて、神は、その他のすべてをもすでに与えておられるのです。
神が与えなさった約束は、クリスチャン生涯とはどのような生涯かをの実に物語っています。クリスチャン生涯は二つの方向性を持っていて、一つには「世にある欲のもたらす滅びを免れる」と言う方向性であり、もう一つは「神のご性質にあずかる者となる」と言う方向性です。これこそ、ホーリネスと言われる経験・生涯が意味することです。
この世、物質的な世界としては、神の創造によるものですから、それ自体には悪の要素は何もありません。しかし、罪の介入によって人間社会としての世は、罪の支配の下にあって、人の持つ欲望を通して人に働きかけ、滅びへと人を導きます。ホーリネスとは、そのような欲望に支配された生き方を止め、神のみこころに生きることです。
また、ホーリネスとは、その究極的な目標としては「神のご性質にあずかる者となる」ことです。キリストが神の栄光の顕現であられたように、ホーリネスに生きるということは、神のご性質にあずかり、それを自らの生き方に反映して生きる生き方を意味し、表現を変えるならば、キリストに似た者と変貌させられる経験、また、プロセスのすべてを指すと言えましょう。
■ キリスト、ペテロの足を洗う