このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
■ 今日の「井戸掘り」
「しかし、愛する人たち。あなたがたは、この一事を見落としてはいけません。すなわち、主の御前では、一日は千年のようであり、千年は一日のようです。」 ペテロの第二の手紙3:8
■ 井戸を掘りましょう:
人間は、時間の制約の中に生きている存在です。過去、現在、未来は、人間にとって大きな意味を持っています。過去は、もう、決して戻ってきませんし、未来は、不確かです。次の一瞬でさえ、私たちは生きているかどうかわからないのです。人は、「今」と言う時間しか自由にはできません。
しかし、神にとっては、時間は意味を有していません。創造主である神は、永遠であって、時間を超越した存在だからです。神にとっては、過去も未来もないのです。すべては「現在」として捉えられます。神は、何時でも、その時に居ます神です。
神と人間との、この時間との関係における相違が、人が、神を思うとき、神を理解することを困難にします。神は、人が経験したことのない世界に存在したもうお方だからです。
この節で、ペテロは、神の御前には「一日は千年のようであり、千年は一日のようである」と書いています。百年であっても、人にとっては長い歳月なのに、千年は、、、なのです。そして、千年が万年に変わっても、依然として、神の御前には「一日は万年のようであり、万年は一日のよう」なのです。
あざける者どもは、そのことを見落として、創造の時以来何も変っていない、創造の時のままだといって、神の約束が既に反古にされているかのような印象を心に抱いて、神のことばを批判しています。そのような批判は真に受けてはいけないのです。
■ キリスト、ペテロの足を洗う