このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
■ 今日の「井戸掘り」
「主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。かえってあなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。」 ペテロの第二の手紙3:9
■ 井戸を掘りましょう:
ペテロは、主が来臨の約束を果たしておられないと思えるほど、その時を引き伸ばしておられるのは、ただ、遅くしているのではなく、「すべての人が悔い改めに進むことを望んで」のことだと説明します。主は「ひとりの人でも滅びることを望ま」れないのです。
ここでペテロは、大変興味あることを書きます。すなわち、主の忍耐は、そのような、もし悔い改めなければ滅んでしまう人々に向けられているのではなく、「あなたがた」に対して向けられていると言うのです。
何故、主の忍耐が信仰者に対して向けられているのでしょうか。パウロは、ローマ人への手紙の中で、これと関連して、次のように言っています。「『主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる』のです。しかし、信じたことのない方を、どうして呼び求めることができるでしょう。聞いたことのない方を、どうして信じることができるでしょう。宣べ伝える人がなくて、どうして聞くことができるでしょう」(ローマ10:13、14)。
宣教の使命を与えられたクリスチャンが、その使命をキチンと果たしているかどうかが、問われているのです。そのことに関して、主は忍耐深くあられると言うのが、ペテロの論旨です。「主は、ひとりの滅びるのを望みたまわ」ない。このことを確信して、果敢に宣教に従事することが大切です。
■ キリスト、ペテロの足を洗う