. . 聖書・「神のみことば」は、真理の尽きない泉です。深く掘れば掘るほど、豊かな甘い水を湧き出します。
このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
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「ペテロの第二の手紙」 を読む : 第59講
■ 今日の「井戸掘り」
「このように、これらのものはみな、くずれ落ちるものだとすれば、あなたがたは、どれほど聖い生き方をする敬虔な人でなければならないことでしょう。」 ペテロの第二の手紙3:11
■ 井戸を掘りましょう:
ギリシャ人でしたか、ローマ人でしたか、その生き方をある賢者が批判して「彼らは、明日死ぬかのように大食し、永遠に生きるかのように家を建てている」といったと伝えられていますが、ペテロがこの節で書いていることは、この「永遠に生きるかのように」地上のものに囚われて生きる方への警戒です。私たちを取り巻く今の天地は、やがて「くずれ落ちるもの」なので、永遠に続くものではありません。
人のたましいは、それに対して永遠に生きます。しかし、どのような形で永遠に生きるかが問題なのです。創造主である神、私たちを愛しておられる父なる神から、切り離され、永遠の暗やみに生きるような永遠なのか、それとも、神に子として迎えられて、その許で永遠の祝福の中に生きるのか、同じ「永遠」といっても大違いです。
どちらの形で永遠の生きることとなるかは、この地上で、どのような生き方をするかに関わっています。地上の生き様と永遠での生き方は、決して無関係なのではありません。むしろ、密接に関わっていて、今の生き方が、永遠を決定づけるのです。
そして、今の生き方、聖い、敬虔な生き方か、それとも、汚れた、悪に満ちた、神を畏れることのない生き方かは、私たちの信仰の姿勢によって決まります。
■ キリスト、ペテロの足を洗う