. . 聖書・「神のみことば」は、真理の尽きない泉です。深く掘れば掘るほど、豊かな甘い水を湧き出します。
このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
「ペテロの第二の手紙」 を読む : 第64講
■ 今日の「井戸掘り」

   「その中で、他のすべての手紙でもそうなのですが、このことについて語っています。その手紙の中には理解しにくいところもあります。無知な、心の定まらない人たちは、聖書の他の箇所のばあいもそうするのですが、それらの手紙を曲解し、自分自身に滅びを招いています。」              ペテロの第二の手紙3:16 

■ 井戸を掘りましょう:

   パウロと同時代に生きたペテロにとってでさえ、パウロの手紙のある部分は難解だと書いています。ましてや、彼らの時代から、2000年も経た私たちの時代、パウロの手紙初め新約聖書に書かれていることが理解できなくても当然です。理解を妨げる多くのギャップが、執筆者の時代と私たちの時代の間に横たわっているからです。

   こうしたことを学んで、少しでも、当社の記者の真意に迫ろうと言うのが、釈義であり、その原理、規則、方法などについて学ぶのが釈義学です。釈義学は、それですから、説教学の土台となって、説教の準備に当たる前に、先ず釈義と取り組むことを説教者に要求します。真摯な釈義的な努力なしの、思いつきのような説教は、真のみことばの講解とはいえません。

   そうした釈義のための努力を重ねても、なお理解しがたい箇所が生じます。この節におけるペテロの助言は、曲解することを避けて、理解できないところは理解できないままでそっとしておくと言うことではないでしょうか。

   我田引水的な解釈は、堅く慎むべきです。宗教改革時代に打ち出されたプロテスタント諸教会の聖書解釈の原則は、「聖書は聖書によって理解する」というものでした。このことを常に心に留めて、聖書の理解に努めることが大切です。

■ キリスト、ペテロの足を洗う

高知県・越知町の大樽の滝   ☆印をクリックしてください


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