. . 聖書・「神のみことば」は、真理の尽きない泉です。深く掘れば掘るほど、豊かな甘い水を湧き出します。
このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
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「ペテロの第二の手紙」 を読む : 第65講
■ 今日の「井戸掘り」
「愛する人たち。そういうわけですから、このことをあらかじめ知っておいて、よく気をつけ、無節操な者たちの迷いに誘い込まれて、自分自身の堅実さを失うことにならないようにしなさい。」 ペテロの第二の手紙3:17
■ 井戸を掘りましょう:
なぜ聖書を曲解するのでしょうか。ペテロの文章は、それは「無知」からであり、「心が定まらない」からであり、更に「無節操」から、そして「迷い」によるのだと言わんばかりです。
すべてこうした姿勢は、信仰の姿勢と正反対の姿勢です。ペテロは、この手紙の冒頭に「信仰に徳を、徳に知識を、、、」と書きました。クリスチャンたちは「無知」であってはなりません。ましてや「心が定まらない」ということがあってはならないのです。ヘブル人への手紙には「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい」と勧められています。
「無節操」は、英語訳(NIV)では「lawless men」となっています。「不法の者たち」と言うことです。ルールを無視する人たちなのです。聖書を解釈するにも、正しいルールがあります。その規則を無視すると、曲解することが始まります。このような人々はルールを無視して、自分の好みを判断の基準に据えるのですから、「迷う」のは当然です。
ペテロは、クリスチャンたちに、彼らの「迷いに誘い込まれないよう」警戒します。私たちの周囲には、勝手な聖書解釈を、恰も、まことしやかに、真理のように宣べ伝える人々がいます。そのような解釈に誘い込まれて、堅実さを見失ってはならないのです。
■ キリスト、ペテロの足を洗う