徳永の平家物語 読み直し」その一  全体索引 

少年時代、幾度も繰り返し読んだ格調高き名文の数々あるこの物語。わけても祇園精舎の冒頭は深い哲学が秘められて大きな影響を日本人に与え続けている。戦前戦後の世界、国内の政治、企業を振り返って見ても、この祇園精舎に語られている悲哀を如実に示すものだ。人間も国家も政治家も企業も奢ってはいけないのである。だが、何と申しても原文の、えもいわれぬリズムと日本語が楽しい。思うままに語って参りたい。  平成22101日  徳永圀典
平成22年10月1日

 1日

祇園(ぎおん)精舎(しょうじゃ)

この序文の調べは日本人の感性の底辺となっているように思う。余計な説明はしない噛み締めて味わうがい。

 2日 物語の魅力

初めの予備知識
遠く鎌倉時代、琵琶法師が琵琶を(かな)でながら人間社会の転変を語り感動を与えた平家物語、21世紀の今尚、この物語には魅力がある。 人間社会の紆余(うよ)転変を語って余りあるからであろう。
 3日 武士階級の出現 平家物語は鎌倉前期若しくは中期に成立したと言われる。鎌倉中期から後期に武士政権が確立し武士が自信を持ち始めた頃である。 武士が征夷大将軍となり朝敵を討ち国家の治安担当の自負が生まれた時代である。
 4日 存在意義 武士の基礎を築いたのが平家である。それが源平の戦いを経て滅亡し、源頼朝により鎌倉幕府が成立した。 勝者・源氏らの武士には、如何にして平家と戦ったかという存在意義が必要だったのではないか。
 5日 平家も英雄 その為には滅んだ平家もそれなりの英雄でなくてはなるまい。 当時の浄土思想を反映して、平家への鎮魂の意味もあったのかもしれない。
 6日 時代の進展

それまでは、藤原氏が全盛を誇った貴族文化の時代であり、源平の争乱は、大衆を含めた開放的な武家時代

へと移行する時であり、また鎌倉仏教との相関関係を抜きにしては生まれなかったのではないか。
 7日 平家物語は後白河法皇物語 平家物語は、源平争乱の様子を描いているが、政治的には後白河法皇の治世であり、「後白河法皇物語」と 言えるのではなかろうか。主役は30年間院政を敷いた後白河法皇なのである。
 8日 騒乱の起因は後白河院 何故ならば、平家は後白河院により勢力を増し、やがて対立して滅んでいる。後白河院政治に従わなかった為に平清盛は衰退し亡くな り、その子孫は滅んだのである。事件は後白河院に起因し後白河院により収束されているのである。
 9日 収束も
後白河院
平家の栄枯盛衰を強調するために平家物語には後白河法皇の個性は没我的に描写されている。 後白河法皇の性格などは全編を通じてよく分からない。
10日 浄土思想 平家物語の成立の頃は、天台浄土宗から浄土宗、浄土真宗へと鎌倉仏教が展開す る時期と重なっていることに注目したい。
11日 家の概念 後白河院の治世は30年に及ぶ。その時代に「家の概念」が生まれたと言われる。 平家物語には親子や夫婦という家族の情愛が描かれており、本邦初めての「家」の物語と言えるのである。
12日 菩提(ぼだい)を弔う

家の概念の成立と共に、菩提を弔うという思想も生まれた。平重衡が南都焼き討ちの罪を認め、法然から阿

弥陀仏に帰依し念仏せよと説教されたように当時の仏教色が平家物語には色濃く描写されている。
13日 多くの死 平家物語には実に多くの死が描かれている。みな念仏を唱えて死んでいる。つまり死後には真の安楽世界 である浄土に往生することを願っている。そう願わねばこの世は余りにも残酷であったのだ。
14日 浄土希求思想

平家最後の場面、壇ノ浦で二位(にいの)(あま)(清盛の妻・時子)入水(じゅすい)する前に、孫の安徳天

皇にいいかける言葉「極楽浄土という素晴らしい処へお連れ申しましょう」に典型的に象徴されている。
15日 厳島神社 清盛が極楽往生できるように安芸の厳島神社に奉納。 「平家納経提婆(だいぼ)(たっ)多品(たほん)」等に窺える浄土希求思想。
16日 登場人物 実に多くの人物が登場する。家の物語でもあるから家中心に分類すると分かり易い。 先ず天皇家、天皇家を中心に三つの勢力がある。
17日 三つの勢力

第一は「摂関家(せっかんけ)」第二に「軍事力を握る平家」

第三に平家と戦う「源氏」である。
18日 摂関家 平安初期から天皇家と姻戚関係を築いてきた 藤原家のことである。
19日 平家

平家は一族郎党が登場している。清盛と重盛親子、宗盛と知盛兄弟。

平家物語では清盛・宗盛が悪者、重盛・知盛が賢者として描かれている。
20日 源氏

源氏は、平治の乱に敗れて勢力を弱めていたが、各地に割拠(かつきょ)していた。以仁王(もちひとおう)

東国の源氏に平家打倒を呼びかける源氏揃(げんじぞろえ)に詳しく描かれている。
21日

傑物(けつぶつ)の女性

木曾義仲の妻・(ともえ)御前(ごぜん)という女武者、平時宗の娘・建春門院、

清盛の妻・二位尼時子、安徳天皇妃で清盛娘・建礼門院など魅力的な女性も多く描かれている。
22日

歌人の登場

和歌を詠むのは平安貴族の欠かせぬ教養であったが次第に貴族化した平家一門にも浸透した。 歌人としては藤原俊成、平家の忠度、源氏の頼政などであろうか。
23日 (しら)拍子(びょうし)

鎌倉時代に人気のあった男装で舞う女芸能者である。()(おう)やら(ほとけ)御前(ごぜん)

義経の女・(しずか)御前(ごぜん)らである。
24日 平家の始祖 桓武天皇を祖とする平家は、清盛の父・忠盛の時代に内裏(だいり)への昇殿を許された。 日宋貿易に関与し清盛らに継承され経済力の基盤を築いたといわれる。
25日 源氏の始祖 清和天皇の孫から始まっている。武家の棟梁(とうりょう)として東国で勢力を拡大していた。 平家により負けたが頼朝で復活し幕府を開いた。
26日 後白河院 後白河院と清盛の間の重要な鍵には女性がである。後白河院の第七皇子を産んだ建春門院は、清盛の妻・時子の妹である。後白河院と平家を結ぶ存在として大きかった。 事実、それにより平家の政治的立場は上昇した。また建春門院の死と共に平家と後白河院との関係が微妙となりやがて鹿(しし)(たに)事件へと発展した。
27日

保元・平治の乱から、源平の合戦、鎌倉時代へと中世日本の激動時代の要に座り

続けたのが後白河天皇、後に後白河院である。
28日

清盛は源平の争乱が本格的に開始される前に亡くなっている。頼朝はその騒乱期から登場する。従ってこの二人を考えると後白河院の存在は極めて大きい。

初めは後白河は清盛と協調するが、重盛の死を契機に反目し為に、後白河は鳥羽の離宮に幽閉される。
29日 古狸後白河

然し、平家落ちの時は鞍馬に脱出。その後入京してきた木曾義仲・行平に平家追討を命令。さらに鎌倉の頼朝に征夷大将軍の院宣を与える。

一方、今度は頼朝に義仲追討を命じるなど源平を操縦する古狸であった。
30日 平家物語主要人物

平清盛
平忠度の嫡子、母は後白河院の愛妾(あいしょう)祇園(ぎおん)女御(にょうご)と言われ、為に清盛は後白河院の落胤(らくいん)と流布された。

清盛は平治の乱の勲功により正三位、51才で従一位太政大臣、そして出家得度。64才で熱病死するまで権勢を謳歌した。公卿16人、殿上人30人というように平家一門はこの間この世の栄華を極めて「平家に非ずんば人に非ず」の時代であった。
31日 前半は清盛が主人公

平家物語の前半は清盛が主人公。祇園精舎にあるように「奢れる人」、「たけき者」は清盛を指しており一貫して悪人として描かれている。清盛の恐怖政治、横暴がもたらした白拍子・祇王の悲哀、摂政・藤原基房への報復乱暴など専横的な清盛像が描かれている。

ただ平治の乱で斬殺すべき源頼朝を、継母・(いけの)(ぜん)()の懇願に負けて死罪を流罪(るざい)に止めたのは清盛の慈悲深さを示すという見方も出来る。