「傘寿」記念特集 岫雲斎の「回想」その五人生とご縁と宗教
はるけくもあゆみ越しかな山々を 八十路になれど道なお遠し 岫雲斎圀典
この二つのビルで私は24年間過したことになる。
平成22年5月度
1日 | 岫雲斎の日課 |
岫雲斎とは私の雅号である。正式には徳永岫雲斎圀典と申す。岫雲とは高山の中腹を出入りする雲のこと、私は登山を好む。斎とは本来、整えるの意、祭りにあたり起居や食事を整えて身を清め、心を戒める「清明心」の意もある。 |
学問に相応しく私の好む字である。ちなみに日々起床四時、読経後、直ちに書斎の硬い椅子に立腰して事始め。さて今年遂に傘寿を迎えた。それにしても、よくぞこの年まで健康で永らえたものだ。戦時中勤労動員の疲弊で肋膜炎、休学一年、あばら骨が浮き出たスポーツと無縁な男の成れの果てである。 |
2日 | 命とは動くことと見つけたり |
残り少なきわが命とは心に銘じているが実感に乏しく、許す限りの余暇は登山に明け暮れている。愚かしき人間だが、まあ、いずれ間違いなくお迎えは来るのだから、精一杯!と開き直って生きている。 |
「命とは動くことと見つけたり」、「一切は心より発す」、万物の進化に停滞無きが如く自らも生ける限り化していかねばならぬと自戒し日々努めている。俗事とて然り、齢は重ねしが政・経・歴史・古典の学習にいまなお日々余念無し。 |
3日 | 休息の暇なし |
近年、再び戦前派作家の歴史小説、古き時代劇の味ある人間描写に痺れ、荻生徂徠の「学問は歴史に極まる」を深く感じることしきりである。 |
又、私のHP愛読者が多く、為に日々の工夫・研究が不可欠で心身頭脳とも休息する暇はない。 |
4日 | 死との対決 |
一方で「死との対決」もおさおさ怠るわけには参らぬ。我が身微なりと雖も浩気の所産、太虚に還るに心事を留めんか、逆修を受けて七年となる。 |
終に臨むに「無に生じ無となりて消ゆいのちかなこの世のことは空の空なり」と認めてみたもののそうはいかない生身の煩悩。死を忘れたり、深刻に思い詰めたりを繰り返す愚かな人間だ。 |
5日 | 岫雲斎の嘆き | 「はてさて、俺は哲学も宗教も歴史もたいして学問勉強してこなかった、身につかなかった、そうして八十年も生きてきて、ここにこうしておる哀れで愚かな俺だ、そのくせ昔より少しも出来ておらぬ、俺など所詮はたいした人間ではないと思うと、この胸が張り裂けそうだ、俺は身命を |
賭した仕事をしないで生きてきたからであろうかと呻吟する。対価を得る社会で地位・名誉・カネを得ても大したことではない、心は満たされる筈はない、ただただ謙虚に人間の道を修めてなんとか安心立命を得て、人知れず静かにこの世を終わるのが一番よい道であろうか」、などとファウスト博士のように悩む。 |
6日 | 人間これだけでいい |
「このお婆さん、難しい本を読んでいるとも思えんなあ、学問があるとも思えない、頭が切れるという顔でもない、大金持ちでも無さそうだ、勲何等とかを貰っているとも思えぬ、でも、黙っていなさるけど、いつもなんとなく暖かいんだなあー、柔和そのものだ、 |
このお顔を見ているとなんだかホットする、不思議だなあ。このお婆さん、おカネにも疎いみたいだ、政治にも無関心だ、難しい世界情勢など何にも知らないな、でも何か持っているぞ、ほのぼのとした暖かいものがジーンと伝わってくる、何かしらないけれど・・。人間はこれだけでいいんだ、これだけで・・」と分かったような思いに沈む。 |
7日 | 私の願い | 夢幻・空華の我が生涯よ、願わくば、連天の | 白鳥、一瞬に消え去る水天一碧の如き命終あらんことを。 |
8日 | お釈迦さまに帰れ |
お釈迦さんの言葉と現在の仏教は大違いのように思える。 お釈迦さんの言葉を、色々な人間が、色んな時代に自分なりに解釈して宗派を作ってきた。 |
日本では鎌倉の仏教が原点であろう。私が不思議に思うのは、仏壇でもお釈迦さまの仏像でなく始祖の仏像が普及されて、始祖の見解が中心になり過ぎていることである。 |
9日 | 葬式のこと | 極端な例があの世のことであり、葬式のことである。お釈迦さまはこれらに就いて何も云われていない。 |
私は仏教を学ぶのに原点、即ちお釈迦さまに帰るべきだと主張したいのである。形式的なものが庶民の無知の為に跋扈し蔓延してきたのではないか。 |
10日 | 自燈明・法燈明 |
そこで私はお釈迦さんの言葉を大切にしたいのである。それは、 「法を光、燈明として仰いで学ぶことにより、自分も光り輝き他を照らすことができる。 |
法を聞いて自分を光り輝かすことだけを頼って、それ以外のことに依頼心を持ってはならない」と教えておられるのである。これを「自燈明・法燈明」と言うのである。 |
11日 | おのれこそ、おのれのよるべ | 「おのれこそ、おのれのよるべ、おのれを措きて、誰によるべぞ、よく調えし己こそ、まこと得難きよるべをぞ得ん」と法句経にあり。自己の調え方として、人間の感覚や意識を生ずる |
「眼・耳・鼻・舌・身・意」の六つの根元の「六根」(六感覚器官)を正しい法(教え・真理)を学んで調えることなのである。これは理に適っている真理である。 |
12日 | お釈迦さんの臨終の言葉 |
釈尊は八十歳で伝道の旅路で亡くなった。晩年に高弟の舎利子と目蓮とを相次いで喪う。 |
釈尊は弟子に教えるというよりも、しみじみと自分に言い聞かせる。 |
13日 | 自らを灯明 | 「古木にあっては、幹よりも枝が先に枯れることもある。生あるものは必ず死に、会うものは必ず別れなければならない。故に人は依頼心を捨てて、自分が自分の頼りになるように自分を光とするがよい・・」 |
「自らを灯明とし自らを拠りどころとせよ」。 自分を光とするということは、自分が光り輝くように自分の心や言動をよく調えて自分の心を豊かにすることだという。 |
14日 | 自己制御機 |
釈尊は、ある日王様に説法された。王は美食家の大食漢、肥満に悩んでいた。 |
釈尊は「人は自ら心して、量を知って食をとるべし、さすれば苦しみ少く、老ゆること遅く、寿ながく保つべし」 (雑阿含経)と云われた。 |
15日 | 釈尊の微笑ましい法話には均整のある「中道の道理」が籠められている。 |
精密な自己制御機を心中に備えて欲望を調える、「自ら心して」と自主的に自己調整を勧めている。 |
|
16日 | 空 |
般若心経に関心を抱いて久しい。高神覚昇師に傾注し私なりに開眼したと思っている。 |
そして平成16年、大胆にも徳永圀典の般若心経口語訳として公開した。 |
17日 | 「真理の智慧で覚る心の教え」 |
観自在菩薩が、甚深にして微妙なる般若波羅蜜多の修行をされた時、万物を構成する五蘊はみな空であるとご照覧されて一切の苦厄から抜け出された、即ち覚られた。 |
舎利弗よ。この、万物の実体は空であるから、生ずると言っても、何も新しく生ずるものではない。滅すると言っても、全てが一切無くなってしまうのではない。汚いとか綺麗とか、増えたとか減ったとかは、夫々の事物の囚われによる錯覚なのだよ。 |
18日 |
そのような訳だから、空による認識世界の中には、 |
眼界 |
|
19日 |
四諦、即ち苦諦も集諦も滅諦も道諦さえも無い。 |
万物は智も無ければ所得するものも無い空なのだ。見えるものも、見えないものからも、何も実体は得られない、だから次のようになるのだ。 |
|
20日 |
「このような菩薩の般若波羅蜜多の智慧の教えによるが故に、即ち無所得の境地で心を綺麗さっぱりとするからこそ、心にわだかまりが無くなる。心にわだかまりや障害が |
ないから何の恐怖も有り得ない、転倒し夢想するような妄想から心が解放されて安心が生じ究極の覚りを得られるのだ。」 |
|
21日 |
三世の諸仏、即ち無限にして悠久の過去未来の覚者も、この般若波羅蜜多の智慧 |
に拠るから「あのくたらさんみゃくさんぼだい」と言うこの上ない智慧を得られるのだよ。 |
|
22日 |
このようなわけだから、般若波羅蜜多の智慧は大神呪、即ち大真言であり、大明呪、即ち |
無上の大真言であり、これと等しい真言は無く、これにより一切の苦厄を取り除けられる、これは真実にして大真言なのだ。 |
|
23日 |
このように菩薩は般若波羅蜜多の真言を説かれ「この真言で悟りの彼岸に達した。みなを悟りの彼岸へ行かしめた。凡ての人々を行かしめた。 |
かくして自分の覚りの道は成就した」即ち「ぎゃーてい、ぎゃーてい、はらぎゃーてい、はらそうぎゃーてい、ぼうじそわか」と唱えられて般若心経を説き終わられた。 |
|
24日 | 生ける者の哲学書 |
尊敬してやまない松原泰道禅師、昨年百歳の天寿を全うされた。慈愛と、深い示唆に富む師の教えは心に刻み込まれている。一日生きることが一日死に近づく、その日々を大切にと思う。 |
悟りきれない自分の戒めのつもりで老師の言葉をも時に想起しながら続ける。私は、お経は生きている人間へのものでなくてはならない、お経は「生ける者の哲学書」であろうと、心から強く信じている。 |
25日 | この世の後のことに就いて |
お釈迦様は、弟子たちに死後の世界や霊魂の存在については何もお話になっておられない。一切ノーコメントであった。お釈迦様だって分かるはずはないのである。 |
ただ自分を強く持ち、仏法を守り、法(森羅万象の真理)を守り、今の人生をしっかり考えよと云われた。納得できる話であり、それが仏教の基本であると私は信じている。 |
26日 | あの世のこと |
大友宗麟という大名はキリシタンだが、彼も生前、次の言葉を発している、「予は、今生の後には何も無いことを知っている。司祭達はそのことを承知しながら、国の統治の為に来世があるように説くのだ」と。 |
現代でも、浄土宗の事務総長という教団最高位の故・寺内大吉氏も「私の知性では極楽は無い」と言った。その発言は宗門から非難を浴び罷免されたが半年後再び事務総長に復活した。ここら辺に現代仏教の欺瞞的本質を洞察できる。 |
27日 | 徳永圀典の本質的見解 |
私もお釈迦さまとか宗麟とか寺内氏の見解と同じである。毎朝二種類の経典を諳んじて勤行しているが、教典の内容は総て生きている者への諭しであることからも分かる、教典は死者への手向けではない。 |
上述等の事実からして、お経は生きている者へのものなのである。決して死者への供養ではない。ただお経を先祖へ捧げることにより自分の拠り処である先祖様への限りない報恩感謝と同時に、反省の場であり、身を正し選り良い生活を祈念する場となる。 |
28日 | 鎌倉仏教 |
鎌倉時代、戦国時代の庶民は現世を生きるのに苦難そのものであった。この世は地獄であった、喰うものも着るものもない、救いがたい荒れた社会、秩序もなく、弱い庶民の生活は地獄そのものであった。だから、始祖たちは辻に立ち、命懸けで、せめて、あの世に生まれ変われば極楽浄土があると叫んだ説法は説得力があった。 |
だから、日蓮、道元、空海、法然、最澄、親鸞など、傑出した日本仏教の開祖が生まれたのだ。庶民は「南無阿弥陀仏」、「南無妙法蓮華経」、「南無大師遍照金剛」など他力本願の称名を唱えれば誰でもお浄土に生まれ変われると信じたのである。あの世にしか救いは無かったのである。 |
29日 |
日本仏教の堕落 |
中世の庶民と違い、現代の庶民に対しても、今尚、極楽浄土に行けると法話で話している愚かな僧侶が多く存在する。現代の庶民はそれでは決して現世での救いは得られまい。これは現代仏教の不勉強であり怠慢である。 |
現今日本人は、若い人も含め自殺が多発している乱世、末期なのである。だが、鎌倉仏教の始祖のように、現代の僧侶は、街頭に出て「辻説法」をしない、裸足で都会の辻で悩める青壮年庶民に語りかけない。これでは仏教は救いとして何の役にも立たない存在である。彼等はひたすら葬式の上がりを待つだけである。 |
30日 | 徒然草、 坊さんと世間 |
徒然草、第七十六段「羽振りのいい人のもとに、不幸や慶びごとがあり多くの人が出入りする場所に、世捨て人が混じって取り次ぎを頼み待機している風景、そんな事をしなくてもよいと思う。それなりの理由があるにしても、坊さんは世間の人と疎遠なのが望ましい。」 |
全くその通りで、人の死で生計をたてている僧侶は、控え目に暮らし、人の前ではしゃいだりしてはならないのである。派手な衣服や、金襴緞子を避けて豪華な家を普請したりしないで、言うなれば下を向いて明るい顔をしないでやって欲しいというのが徒然草の言うが如く庶民の感覚であり、古来より変わらぬ僧の慎みなのである。 |
31日 |
僧の金襴緞子 |
道元の着るものは常に墨染めの衣であったという。金襴緞子の衣服を入れ替わり立ち代り身にまとい法要を営むなど全く不要なことであり苦々しいのである。 |
このような僧は、似非僧侶であり無知な庶民をたぶらかすであろうが心眼の備わった人間から見れば仏教の本質から外れていると思われるだけである。 |