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スポーツドクター・コラム

100メートルを走ったケン君

 ケン君の思い出。ケン君が水の事故に遭い。救急車で病院に運ばれたきたのは彼が3歳のときだった。
 肺に酸素を十分に送るために人工呼吸につなぎ、脳の機能を回復するために昼夜を問わず懸命に治療した。脳は酸素欠乏にとても弱く、死んだ脳細胞は膨れて痙攣の原因になる。
 案の定、その後は痙攣の嵐だった。治療は痙攣を抑制すること、そして何よりも生き残った脳細胞を出来る限り生かすこと。それから10日後、ひとまず命の危険がなくなり、ケン君の人工呼吸が外された。しかし、意識障害が長く続いた。ケン君は魔法にかかったように眠りつづけた。「朝だよ」と言っても起きない。
 長い時間が過ぎて行った。但し、希望はあった。ケン君が子どもだったこと。子どもの細胞は分裂増殖が激しい。新しい脳細胞が生まれてくるかもしれない。
 失った神経の回復には刺激がいいと、両親や看護師さんたちはいつもケン君の体をさすり、われわれは鍼(鍼)治療で刺激した。ケン君は痛そうに体をくねらせた。そんなある日、目が開き、口でものを食べるようになった。数ヶ月後、麻痺と言葉の障害は残ったが退院した。
 その後偶然、母親に遭うことがあった。嬉しそうに、ケン君が少しずつしゃべり始めたと話てくれたのをよく覚えている。
 それからさらに何年か経って、運動会でケン君が麻痺のある体で百メートルを懸命に走っている姿に出会った。なぜ、彼がケン君だとわかったのか不思議だったが、まれぎもなくケン君だった。それはカール・ルイスにも負けない、とても素敵な走りだった。






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