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般若の素顔と極道の天使
後編


6. 桐生vs.真島

桐生と真島は、上半身裸でにらみ合ったまま、砂浜に立っていた。
じっとりとした湿度が肌にまとわりつくようだ。
じっとしていても、汗が滲み出てくる。
息を切らせて駆けつけたが、少し離れて固唾を呑んで二人をじっと見つめていた。

真島はにちらりと視線を送ると、首を左右に傾けてポキポキと枯れた小枝が折れるような音を立てた。
「さあ、始めよか、桐生ちゃん」
片方だけ口の端を上げて挑発するように笑う。
ゆらゆらと殺気が立ち昇っている。
その興奮は、快感さえも伴っていた。
それは肉体的な快感に近いものだった。

さやからドスが抜かれ、薄闇の中できらりと光る。
二人の気迫は充実していた。
桐生が背中にまとった天に昇る龍。
真島の背負う凄まじい形相の般若。
その刺青が、鋭い目を光らせて目覚る。
まるでお互いを威嚇しているかのようだ。

「構えろや、桐生ちゃん」
「覚悟はいいんだな」
冷たく言い放った桐生が、腰を落とし、両手を前に出した。
「来いよ」
「行くでぇ!桐生ちゃん!」

開始と同時に真島が走り出し、勢いよくドスを繰り出す。
その空気を斬る音は、凛とした笛の音色のようだ。
真島の眼差しが、研ぎ澄まされた刀のように鋭くなる。
(一気に畳みかけて、得意のドスで決めたればええんや)
真島はそう信じていた。
桐生は、風を斬るような真島の素早いドスを避けようと身をよじった。
距離がぐっと縮まる。
桐生の拳は真島を連打した。
右。
左。
右。
真島は熟知していた。
桐生の拳には、骨まで砕くほどの破壊力がある。
素早く腰を下ろして避けた真島は、負けじと桐生の腹部にドスを鋭く突き出した。
距離をとられた。
真島が、一気に踏み込み、ドスを振り下ろす。
怪しく光るドスが、空気を斬り裂く音を立てて、桐生の腕をかすめていった。
桐生は、素早く真島の腹に蹴りを叩き込んだ。
「ウオッ」
うめき声を上げた真島だったが、蹴られた反動を使って後ろに飛び退いた。
じわりじわり、とお互いが間を詰めていく。
お互いに相手の動きを読んでいるのだろうか。
両者の動きは、美しいくらいに噛み合っていた。

真島のすぐ前に桐生が迫ってきた。
「はっ」とした瞬間――
桐生が、真島の首を掴んで持ち上げたのだ。
一瞬すとんと真島の意識が飛んだが、必死で桐生の両手を振りほどいて、後方へ退いた。
崩れかけた体勢から半歩踏み出し、ドスを強く握り締める。
桐生が、一気に距離を詰めてきた。
「オラッ」
両手を合わせて、真上から振り下ろす。
鈍い衝撃が、真島の頭から爪先まで走った。
一瞬、目の前が爆発したようだった。
痛みで視界がぐらりと揺れる。
「痛ったぁー」
絞り出すような声だった。
頭をさすると、髪の間からつーっと赤い血が滑り出してきた。
真島は、血を手で拭うと、ぺろりと舐めた。
「嬉しいでぇ、桐生ちゃん」
と、ハアハアと荒い息を吐きながら言う。
刺すような眼差しが、ぎらぎらと輝いていた。
まるで獲物を見つけて喜んでいる狂犬の眼のようだ。

真島は、歯を食いしばって、足に力を入れ、均衡を保った。
「まだまだや。ヒヒヒッ」
真島が薄い笑みを浮かべた。
体内で血が騒ぎ出す。
血が熱くなるのに反して、五感がどんどん研ぎ澄まされていく。
構え直した真島は、眼光を鋭くして桐生を見据えた。

にらみ合うこと数秒――。
真島が、桐生の周りを素早く移動し始めた。
一気に飛び込んで、ドスを桐生の頭に鋭く突き出す。
「ヤァー」
ドスが空気を斬り裂く音。
投げられたドスが回転しながら宙を舞う。
眼にも留まらぬ速さで真島がドスを振るう。
桐生がすっと腰を落として、一瞬で避ける。
ドスを掴まえた真島は、次は桐生の腹に突きつけた。
空を切った。
動くたびに、髪から汗が飛び散る。
真島の眼は、再び凶暴な喜びで、ぎらぎらと光を放っていた。
戦っている時が、真島の生きがいの瞬間でもあるのだ。

「ウリャー」
桐生の白いズボンが音を立てた。
布が裂かれる音だ。
ドスが桐生の脚のあたりをかすったのだ。
真島は、ドスをひょいっと空高く投げて、桐生の足元に蹴りを入れる。
桐生が、足を浮かし、軽くかわした。
「ヨッ」
と言って、ドスを掴み取った真島は、桐生の肩を狙って斜めに斬りつけた。
手ごたえがない。
ぎりぎりのところで全てかわされてしまう。
「やるやないかい」
にやりと笑った真島は、ドスを左手に持ち替え、構え直し、桐生の顔面に拳を打ち込んだ。
桐生が、崩れるように地面に落ちる。
真島は、見下ろして、容赦ない力で腹を踏みつけた。
桐生の唇が切れ、血が流れ出ている。
額からも血が滲んでいた。
「こんなもんかい、桐生ちゃん」
小さく笑いながら、真島が頬を歪めて笑った。

「くっ」
桐生が、唇の血を手の甲で拭い、起き上がると、二人は飛び出す瞬間を探りあった。
真島の動きのほうが一瞬速かった。
ドスを突き出した。
その先が桐生の頬を軽く裂く。
赤い血がぱっと飛び散った。
すかさず桐生が反撃に出た。
桐生は前に出ると、真島の顎をぐっと捉えた。
素早く蹴りが腹を見舞う。
「ウォ」
真島は、砂浜の上に仰向けにひっくり返った。
両手で腹を押さえ、身をよじって、顔を歪めている。

なんとか起き上がろうとしていた。
桐生は、真島の傍に立つと、足で真島の頭を蹴り下ろそうとした。
真島が、力を振り絞ってぎりぎり横に転ぶ。
真島の頭があった場所には桐生の足が深く叩き込まれた。
揺れるような衝撃が浜辺に走った。
もし、じっと倒れていたら、真島の頭は、完全に蹴り潰されていただろう。
真島は、桐生ににらみを利かせて、起き上がった。
ぐっとドスを持つ手に力を込め、桐生に向かってドスを振りかざした。
真島の動きを予想したかのように、桐生は、するりと身をかわし、一気に間を詰めた。
両手で真島の肩を掴んだまま、頭突きを見舞う。
かっと目の前がまぶしく光った途端、真島は後ろに吹っ飛び地面に倒れていた。
頭をすさまじい激痛が襲う。
痛みに耐えれず、砂の上にうずくまる。
身体が泥みたいだ。
どろりと重くてだるい。

だが、真島は身体を両腕で必死に支えて起き上がった。
足元が、ふらつく。
真島の顔面は、赤く染まっていた。
沸々と怒りが込み上げてくる。
(絶対勝たなアカンのや!)
噛みつくような表情で桐生をにらんだ瞬間、真島は地を蹴って飛び込み、桐生の喉元めがけてドスを突きつけた。
渾身の力を込めた一撃だった。

――その瞬間だった。
「おじさん!」
そう叫んだが、心配そうに桐生を見つめているのが、視界に入ってきた。
「クソ!」
怯んだ真島は、無意識にドスの速さを緩めてしまった。
桐生は、その隙を見逃さなかった。
わずかに身を反らせてドスをかわし、ぐっと真島に迫り、回し蹴りを飛ばしてきたのだ。
大きな岩をかち割るような重い、強烈な蹴りであった。
真島の身体は弾き飛ばされていく。
時間が止まった。
意識がもうろうとして、空気が歪んでいるように感じる。
泣きそうな顔で桐生を見つめるの顔がぼんやりと浮かんでくる。
ちゃんにとって、桐生ちゃんは父親みたいなモンや。そんな男を俺は傷つけようとしとった。ちゃんを欲しいがために勝負を挑んでしもうたんや。何しとんのや……俺は……)
気がつくと、真島は地面にうつ伏せで倒れていた。
吹っ飛んだドスも、砂浜に転がっている。
身体を動かそうとした。
だが、ダメだった。

桐生は、真島の傍に行くと、肩で息をしながら、見下ろしていた。
「真島のおじさん!」
が駆け寄り、真島の肩を強く揺さぶった。
この瞬間――。
勝負は終わったのだ。
、行くぞ」
「えっ?真島のおじさん、こんなに怪我してるし……」
「これでいい」
桐生は、無言での手を引っ張って、アサガオに向かって歩き出した。
泣きそうでやるせない表情を浮かべたが、一度振り返った。
真島は、動かない。
は、首をうなだれて一歩一歩重たそうな足を引きずるよう歩いて行ったのだった。

どれくらい時間が経っただろうか。
単調に繰り返される波の音が聞こえてくる。
筋肉に石のような疲労が詰まって、全身が砂の中に埋まっていくようだ。
真島は、体中の痛みを堪えながら、やっと起き上がった。

浜辺には誰もいない。
夜空を見上た。
流れる黒い雲の切れ間から、欠けた月が浜辺をぼんやりと照らしている。
あぐらをかいて、海をぼーっと眺めた。
黒い波が押し寄せては引いていく。
潮の匂いが、真島の刺青をが触った記憶を運んできた。
が無邪気に真島の般若を指でなぞったことを。
あの時は、込み上げてくる熱いものを堪えるのに必死だった。
「もうあん頃には戻れんのかのう……」
ぼそっと呟いた真島は、片手で砂を掴んで指の間から滑らせた。
(これで終わりなんか……)
桐生に連れて行かれたは、真島のもとへ戻ってこなかった。
育ててくれた桐生を裏切ってまで、自分についてくるわけがない。
胸の奥に激しい痛みを感じた。
それが嫉妬というヤツだとすぐ分かった。

月は黒い雲で覆われて、浜辺の暗さが一層増した気がした。
「はぁ」
長いため息を吐く。
「俺とちゃんが釣り合うわけないんや……」
喉元に熱いものが込み上げていた。
涙を堪えて、両手を握り締める。
真島の右目から涙が一滴流れた。
手の甲で涙を拭っても、じわりと視界がぶれる。
真島は、ドスを手に取って、さやに収めると、痛みを我慢しながら立ち上がった。
抜け殻のように歩き出す。
足が砂に沈む。
足が引っ張られているようだ。

砂浜に足跡が続いていた。
一人分の足跡だけが――。

つづく

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