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*何も記入しない場合、澤村遥になります。


般若の素顔と極道の天使
後編


7. 失恋

真島が、桐生との勝負に敗れてから一ヶ月半経ち、今日はバレンタインデーだった。
窓の外には凍てつく冬の夜空が広がり、雪の結晶が張りついている。
真島は、暖房がよく効いた組長室で長い足をテーブルの上に投げ出していた。
手元にある工程表に目を落として、週明けの業務を確認をする。
『月曜日:十時から池袋に建つビル起工式』
「おっしゃ。ついに工事が始まるか」
ソファにもたれて社長代表の挨拶を目を閉じて考えていると、バラエティ番組が流れるテレビから、
「今日も可愛いねぇ、ちゃん」
という声が耳に入ってきた。
テレビにちらりと視線を走らせる。
ポニーテールに髪をまとめた十代くらいのアイドルが、スクリーンいっぱいに屈託のない笑みをこぼしていた。
ぱっと開いた真島の瞳が、一瞬で深い悲しみの色に染まった。
スクリーンから目が離せない。
ちゃんも、こないな顔で笑っとったな……)
フッと力が抜けたようになった真島は、内容がちっとも入ってこない番組を虚ろな顔で眺めていた。
ノックする音にはっと意識を戻して、ドアに視線を向けた。

「西田です」
「入れや」
「あ、あの……」
「なんやねん」
不機嫌な重い声だった。
ぴくりと身じろぎした西田は、
「さ、冴島の叔父貴が来られてますが」
と口ごもった。
「あ?何で兄弟がおるんや」
「さ、さあ」
視線を宙に飛ばした西田は、何やらそわそわしている。
真島が眉根にしわを寄せ、
「まあ、ええわ」
と言った瞬間、ドアが大きく開いた。

「おう、兄弟」
ずかずかと入ってきたのは、黒いシャツに黒いスーツを着た冴島だった。
真島よりがたいのいい冴島が、極道らしい格好をすると、周りに威圧感を与えているに違いない。
真島は、書類に視線を落とすと、
「いきなり何や」
と、冴島の言葉を跳ね返すように言った。
「西田にお前の様子を見に来てくれって頼まれてな。最近、遅うまで働いとるそうやないか」
「あの、ボケェ」
真島は、苛立った声を上げた。
窮屈そうにネクタイを緩めながら、冴島は部屋を見渡した。
テーブルの上には、開いたノートパソコンと、大量の書類が広がっている。
「精が出るみたいやな」
「これが終わったら、請求書にも目ぇ通さなアカンねや」
真島はそう言うと、また書類を読み始めた。
だが、さっぱり内容が頭に入ってこない。
冴島が真島に向かって二歩近づいた。
「これなあ、うちの若頭の嫁からお前にチョコレートや」
冴島が、赤い紙袋を真島の前にすっと差し出す。
ちらりとそれを見た真島は、渋々と受け取ってソファの上にぽんと置いた。
冴島は、テーブルの向かい側へ行き、賑やかな声が流れるテレビの前に仁王立ちになった。
腕を組んで真島を見下ろす。
「なあ、兄弟。ちゃんから、チョコレートはもろうたんやろ?」
「知らん」
真島が、吐き捨てるように言い放った。
書類を持つ指にぎゅっと力がこもる。
その指をじっと見た冴島は、「ん?」といった感じで首を傾けた。

「何や。喧嘩でもしたんか」
「何でもええやろ。早う帰れや」
鋭い眼差しで冴島をにらむと、書類に視線を戻した。
冴島が、真島の様子を伺うように前かがみになる。
「お前、ちゃんと何かあったんやろ。それに働き過ぎなんちゃうか?ちゃんとメシ食うとるんか」
「お前はオカンか」
フッと鼻で笑った真島が、短いため息を漏らし、書類から目を上げた。
寂しげな影がすっと目に宿る。
「あんま食欲ないねん」
冴島は、がっくりと肩を落とした真島を見つめた。
その真島を映すのは、ぬくもりがこもった瞳だった。
「ほな、なお更食わなアカンやろ」
と、冴島が力強い声で言った途端、ぐっと真島の二の腕が引っ張られた。
「何すんねや。放っといてくれや」
「アホ。そないなことできるか。ほれ、メシに行くで」
顔をしかめた真島は、無理やり冴島に引かれるように組長室をあとにしたのだった。

二人がミレニアムタワーを出て、中道通りに入ったは、七時過ぎだった。
水商売や飲食店の男女、サラリーマン、女子高生、これから遊びにいく大学生や一般人、風俗嬢などが、足早に往来を行き来している。
次々と声を掛けてくる風俗や違法DVDのキャッチを振り払うように、二人は無言で歩いていた。
真島は、店先に赤やピンクのハートやリボンが華やかに飾られているのに気付いていた。
と神室町を歩いた時は、色とりどりのクリスマスのデコレーションが色鮮やかに見えていたのが懐かしい。
と一緒だと、世界が急に色めくような感じに包まれた。
だが、今はぎらつくネオンさえも色あせて見える。
(恋のなせる技ちゅうヤツか)
真島は、フンと鼻で笑うと、黄色やピンクの看板で彩られた左右の風俗店情報案内所を眺めてぼーっと歩いていた。
ふいに、後方からサラリーマンらしい酔っ払いのグループがご機嫌で歩いて来て、はっと我に返った。
突然、ぶるっと肌が振るえて鳥肌が立つ。
「なんちゅう寒さやねん」
「せやな。急ごか」
そう低い声で答えた冴島が大股で歩き出す。
二人は、唇を結ぶと、大股で寿司吟を目指した。

「真島さん、冴島さん、いらっしゃい」
板前の威勢のいい声が響く。
店内に入ると、予想以上に賑わっていた。
一番目立つのは、着飾ったキャバ嬢とお客だった。
他には、上司と部下の男二人のサラリーマン客、若い女性と四十代くらいの男性とのカップル。
そして、真島が視線をめぐらせたのは、黒いざっくりニットにデニムショートパンツをはいた二十歳前の女の子が、グレーのストライプ柄の高級スーツを着た、成金そうな五十代の男と一緒に座っている姿だった。
よくある援交カップルだ。
(俺とちゃんも、援交に見えてもしゃあないな……)
真島が心の中で呟いているうちに、二人は一番奥の席に案内された。

神室町で評判の店だけあって、ガラスケースの中には新鮮なネタが豊富に並んでいる。
「今日は何を召し上がりますかい?」
大将が、にこやかにカウンター越しに尋ねた。
「ほな、まずはビール二つくれや」
と冴島が注文し終えると、真島が煙草に火をつけた。
ぼんやり煙草をふかしながら、宙を眺めている。
冴島は、煙草を吸う彼の横顔を観察するように見ていた。
真島の気持ちを汲み取ろうとしているのだろう。
しばらくすると、板前がにこりと笑って飲み物を運んできた。
冴島が軽くグラスを持ち上げる。
「まずは、乾杯や。遅うまでお疲れさん」
「おう」
チンと軽く音を立ててグラスが重なった。
グラスに口をつけた真島は、ビールを一気に飲み干し、ハァと短いため息をついた。
(あんま食いとうないなぁ……)
「さあ、腹いっぱい食うで!」
冴島は、真島の背をぽんと叩くと、ネタを見渡し「しまあじ」を頼み、真島は、仕方なく好物の「マグロ」を注文した。
目の前の寿司下駄に差し出された寿司を一つつまむ。
舌の上でとろりと溶けていくようだ。
裏切らない旨さ。
だが、まんぞく寿司でと一緒に食べた寿司は、もっと旨かったような気がする。
(こっちの寿司のほうが旨いに決まっとるやないか……)
小さくため息を吐いた真島は、吸いかけの煙草を白い陶器製の灰皿に押し付けた。

冴島が、ひと口ビールを飲んでから、真島の横顔をじっと見つめた。
その横顔には、やつれが少し見える。
「なあ、兄弟。西田から聞いたんやけど、お前、暮れに沖縄へ行ったそうやな」
真島は、おもむろにグラスを傾けて、ビールの泡をぼんやりと見つめている。
冴島が、さらに続けた。
「お前……何があったんや?」
「……何もかも終わりじゃ」
あまり食べてなかったからだろう。
一気にビールの酔いが回ってきて、吐き捨てるような口調でつい喋ってしまった。
煙草をはすにくわえて、火をつける。
「どういうことや?」
冴島が眉を寄せて身を乗り出した。
これから聞く内容を全て受け止めるといった態度に見える。

真島は、との時間を鮮明に思い起こし、重い口を開いた。
「俺なあ、クリスマス前に神室町でちゃんとデートしたんや」
「何でちゃんが神室町に来たんや」
ちゃんなあ、四月から新宿にある菓子の学校に来るらしいねん。で、あん時は、学校説明会に来とったらしい」
「せやったんか。ほんで、デートはうまく行ったんか?」
「おう。ちゃんも楽しそうで、ばっちりやったで」
「ほんなら、何がアカンかったんや」
不思議そうな顔をした冴島は、次に真島の口から出て来る言葉を待っているようだ。
「桐生ちゃんや」
真島は、その名前を口にした途端、目の前に大きな壁が立ちはだかったような気分がした。
「桐生?桐生がどないしたんや」
ちゃんが携帯で桐生ちゃんと話しとる時に、若いモンが大声で俺に挨拶したんや。その声でな、俺とちゃんが一緒やってばれてしもうたんや。桐生ちゃん、ごっつ怒ってしもうてなあ」
乾いた笑いを浮かべた真島は、煙草の煙を吸い込み、下の方へ吐き出した。
「あとはいつものことや。勝負で決着しようって話になってなあ」
「で、どうやったんや」
「勝負の時にな、ちゃんが桐生ちゃんを心配そうな顔で見とるのを見た瞬間、自然と力が抜けてしもうた。あとはぼろぼろ。完敗やった」
真島は、煙をまっすぐに吐くと、ぎこちなく笑った。

「せやったんか……」
冴島が、カウンターに視線を落とし、二人の間に短い沈黙が落ちた。
その時、援交カップルが席を立って店を出ようとした。
真島は、視線を二人に投げかけ、顎でしゃくった。
「俺とちゃんも、あないに見えるやろ」
冴島も、仲良さそうに店を出ていく二人をじっと見つめてから、真島の顔を覗き込んだ。
その真っ直ぐな目は、真島の本心を探るようだ。
「お前……ホンマにちゃんをきっぱり諦めれるんか?」
低くしっかりした声だった。
「しゃあないやろ。ちゃんにとって、桐生ちゃんは親父みたいなモンや。俺より桐生ちゃんのほうがええに決まっとるやないか」
真島が顔を歪めて笑ってから、煙草を斜めにくわえて、煙を吐き出した。
鼻の奥がツンと痛む。

真島のほうに身体を向けた冴島は、彼の顔色をうかがってから、ぽつりぽつりと言葉を選ぶように話し出した。
「俺が、桐生に話しつけても、ええんやで」
「ハァ!?アホちゃうか。何で兄弟が出てくるねん。お前が話したところで、桐生ちゃんにビシッと言われるのが関の山や」
真島は、遠いところでも見るような目で、大将の後ろの壁を見つめた。
冴島が「兄弟……」と、ぼそっと呟く。
フンと鼻を鳴らせた真島が、思い出を消すように煙草を強く揉み消した。
「もうどうでもええわ。早う新しい女作ったるで。まあ、俺に言い寄ってくる女は山ほどおるけどなあ。ヒヒッ」
その言葉は、調子よく飛び出た空元気のように聞こえる。
そんな真島の本音をもう一度、確かめるように冴島は訊ねた。
「兄弟、まだちゃんのこと、好きなんやろ?」
「しつこいで。ほな」
苛立った顔でそう言い放つと、真島は席をがたんと立った。
目を丸くして驚いた冴島は、真島の顔を見上げる。
「おい、どこ行くんや?」
「帰るに決まっとるやないけ」
「おい!」

真島は、あきれた目をした冴島の声を振り払って、表に出た。
その瞬間だった。
「おい、待たんかい。お前、それで終わりちゅうわけか?」
と荒げた声が耳に入り、その声のほうに視線を送った。
サラリーマン風の小柄な中年男が、関西弁を話す三人の「見るからに極道」にぶつかったようだ。
行く手をはばまれた、その男が、怒声を浴びている。
神室町では、日常茶飯事の光景――。
(しょうもな……)
真島は、喧嘩の場所を素通りすると、女でも呼ぼうと携帯を取り出した。
連絡先を選んで、スクロールする。
『あかり……さくら……しの……なるみ……』
真島の指が、ぴたりと止まった。
その指先には、『ちゃん』とある。
思わず名前をタップして、アイコンにしているの顔を眺めた。
プリクラで一緒に撮った時の顔。
満面に笑みを浮かべている。
本当はの声が聞きたくて仕方がない。
真島は、携帯を握り締めて目を閉じた。
「ハァ……」
深いため息が洩れた。
(ええオッサンが、いつまで女子高生のこと引きずっとんねん……)
真島はの番号を消そうと、唇を強く噛んで「削除」をタップしようとした。
が、指が凍りついたように動かない。
「くそ!」
真島は唸るような声で言うと、携帯をジャケットのポケットに押し込むように入れた。

通りが、熱を帯びるように活気づき始めている。
染みるようなネオンの光り。
上着のポケットに手を突っ込んだ真島は、肩を怒らせて歩き出した。
その靴音は、けたたましく鳴り響き出したパトカーのサイレンに掻き消されていった――。

つづく

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