ゴジラ対自衛隊 〜映画の中の自衛隊〜

止むに止まれず、超法規的行動をとることになるでしょう

1978年7月19日――栗栖弘臣 統合幕僚会議議長


 ミグ25の函館空港への強行着陸事件(ベレンコ中尉亡命事件)から2年後の1978年(昭和53年)7月に発売された週刊誌に掲載された栗栖弘臣 統合幕僚会議議長(現統合幕僚長)のインタビュー出の発言――栗栖発言などと呼ばれることになる発言が政治問題化した。

 その内容は、自衛隊運用に関する国内法の不備や、制服組の発言を許さないという意味でのシビリアンコントロールへの疑問などが語られた。その中で、栗栖統幕議長は「外国の艦船に拿捕されつつある日本漁船のそばをたまたま通りかかっても、自衛隊としては何もできない。いざとなった場合はまさに超法規的にやる以外にはないと思う」と法律の不備を語った。さらに具体的な説明を求めたインタビュアーに対し、今のシステムでは、いざ自衛隊が行動に移る前に、手続きも時間もかかることを指摘した。

 インタビュアーが「現地部隊はただその間ただ待っているだけか?」と質問を続けると、「現地部隊が手をこまねいていることは、おそらくないと思う」と発言。それから表記の「止むに止まれず、超法規的行動をとることになるでしょう」という言葉を続けた。同じ文脈の中で栗栖統幕議長は「もはや法律がないからなにもできないなどと言ってはいられないような事態が将来、起こりうるとも思う」とも発言しており、法制度の不備がもたらしかねない事態への危機意識を表した。

 栗栖統幕議長は東京帝国大学法学部を卒業し内務省に入省してから、海軍2年短期現役士官を志願。南方戦線で海軍法務大尉として任官している中で終戦を迎えた。終戦直後は弁護士とてして活動していたが昭和26年に警察予備隊に入隊し、その後陸上自衛隊の幹部として東部方面総監、陸上幕僚長といった要職を歴任し、1977年(昭和52年)、第10代統合幕僚会議議長にまで上りつめた。発言内容自体は、有事の際の法制度の不備を指摘したにすぎなかったのだが、制服組のトップが超法規的行動に言及してしまったことから政治問題化した。その後、栗栖統幕議長は記者会見でも同様の発言を行い、当時の金丸信 防衛庁長官に「文民統制に反する」として事実上解任された。

 しかし、この件をきっかけに、当時の福田赳夫内閣は有事立法・有事法制の研究促進と民間防衛体制の検討を防衛庁(現防衛省)に指示した。結果、停滞していた日本の国防論議に一石を投じることとったが、三矢研究問題以降でタブーとされ、政治が避けてきた有事法制議論が積極的に行われるようになったわけではなく、結局は役所まかせで政治が主導権をとって法整備が進められることになるのは、まだまだ先の話である。

 退官した後の栗栖氏は、大学の客員教授や地方新聞の客員論説員などを勤めながら安全保障に関する著書を積極的に著した。栗栖発言から20年以上が経った2003年6月の武力攻撃事態対処関連3法、2004年6月には有事関連7法が成立し、ようやく有事法制が制定された。それを見届けるかのように、栗栖元統幕議長は2004年7月、84歳でこの世を去った。

自衛隊・安全保障をめぐる言葉