ゴジラ対自衛隊 〜映画の中の自衛隊〜

ガメラ2〜レギオン襲来〜(1996年)

DATE

1996年劇場公開

監督:金子修介  特撮監督:樋口真嗣  脚本:伊藤和典

キャスト  渡良瀬佑介(二等陸佐):永島敏行  穂波碧:水野美紀  花谷:石橋保  帯津:吹越満  草薙浅黄:藤谷文子

観客動員数:120万人  配給収入:8.2億円


内容にはネタばれを含んでいます。  解説・感想  ストーリー  映画の中の自衛隊



【解説・感想】

 1996年7月に公開された平成ゴジラ3部作の2作品目。今作も自衛隊の全面協力のもと、前作『ガメラ〜大怪獣空中決戦〜』よりも、軍事色豊かな作品になっている。怪獣映画でありながら現実の危機を描いた作品であり、怪獣映画の枠を一つ越えた作品となっている。

 今作の敵は宇宙怪獣レギオン。その命名は『我が名はレギオン。我々は大勢であるが故に――』というマルコによる福音書第五章9節に記述されている悪霊の名である。今作ではせいぜい大勢という程度の意味だったようだが、レギオンとは連隊(regiment)の語源にもなった古代ローマの軍団のことを指し、それが転じてのものであるらしい。“襲来”のタイトルがついているが作中ではレギオンは侵略者というより異物として描かれているように感じる。共存不可能な大量の異物は、排除以外の選択肢はあり得ないのだろう。

 前作『ガメラ〜大怪獣空中決戦〜』がこれまでの怪獣映画の枠内においての名作だったとすれば、今作では、これまでになかった怪獣映画への挑戦がうかがえ、ファンからも高い評価をえたのも納得の出来栄えである。そして何よりも主役のガメラ並みに自衛官たちが力強く描かれ、クライマックスでの自衛隊との共同戦線。そして、敬礼でガメラ見送る自衛官の姿は、数ある怪獣映画の中でも名場面だと思う。

 反面、一部メディアや某政党機関紙などから、自衛隊讃美ひいては戦争賛美の映画であるとして非難を受けた。その辺りの是非についてはとやかく言わないものの、個人的にはその手の意見は製作陣の“挑発”に乗っただけという気がしないではない。そのような意見が出ることは織り込み済みだっただろう。むしろ、批判したければしろ、という感じだったのではないだろうか。例えば渡良瀬二佐が出動命令なしに現地に駆け付ける場面や、古参の自衛官の台詞である「昔、わしらは火の中を逃げ回った。怖くて怖くて、今でも夢に見る。今度は絶対に守ろうや」なんて台詞や、戦場に向かう渡良瀬二佐に穂波がかける「ご無事で」なんて台詞。いかにも憲法9条大好きの人間が批判のタネにしそうな場面・台詞が次々出てくるところをみると、そんなふうに思えてくる。いずれにせよ、日本特撮史上屈指の名作であることは間違いない。

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【ストーリー】

   ギャオスとの戦いから1年が経った冬の北海道の周辺に流星雨が降り注いだ。支笏湖の北西約1キロ、恵庭岳近くにその1つが落下し、陸上自衛隊第11師団化学防護小隊に出動命令が出る。大宮駐屯地からも渡良瀬二佐や花谷一尉らが調査に派遣され、隕石の捜索が行われた。ところが、どれだけ捜索しても隕石本体の発見には至らなかった。

 同じころ、緑色のオーロラの調査に訪れていた札幌市青少年科学館の学芸員・穂波碧は、出動中の渡良瀬たちと出会う。穂波は見つからない隕石は自力で移動したのではないかと思いつきで口にする。その場では一笑に付されるが、近くのビール工場では大量のビール瓶のみが謎の怪生物の目撃情報とともに消え去り、さらにNTTの光ファイバー網が札幌方面に向けて消失していくという不可解な事案が続き、それは確実に札幌に向かっており、図らずも穂波の推測が的を得ていたことが証明され、渡良瀬から協力を求められるようになる。

 隕石落下から5日目。ついに事態は急展開を見せる。札幌の地下鉄内に小型の謎の生物が出現。電車が襲撃され、さらに調査に向かった道警機動隊にも犠牲者が出た。現地に向かった渡良瀬は、体長3mはある昆虫や甲殻類を思わせる生物(レギオン)が群れをなしているのを目撃する。さらに、すすきのデパートを破壊して巨大な植物が出現した。レギオンと草体と呼称されることになった植物は、流星群とともに宇宙から飛来したものと考えられた。レギオンと草体とは共生関係にあるものと推測され、一方を排除すれば生存できなくなる可能性が高い。そこで、草体を爆破することが決定する。しかし、草体は種子を宇宙に発射して繁殖するのではないか、という穂波の予想で帯津がシミュレートした結果は、草体が種子を宇宙に打ち上げるための爆発エネルギーは札幌を壊滅させるに充分、というものだった。

 しかし、三陸沖に出現したガメラが札幌へと向かい、草体に向けて火球を発射。草体は粉砕したものの、地下から出現した無数のレギオンによってガメラは負傷し退却する。さらに地下からは巨大なレギオンが出現し、飛び立った。巨大レギオンに対して緊急発進した航空自衛隊のF-15Jが対空ミサイルを発射。撃墜するもその死骸は発見されなかった。

 解剖されたレギオンの死体の解剖の結果や、仙台での事象の分析から、レギオンは電磁波でコミュニケーションをとっており、電磁波を発する携帯電話や無線機を身につけている者を敵と判別するものと推測された。とすれば、電磁波が密集する都市部が狙われる可能性が高い。その予想は的中し、次に草体が出現したのは仙台だった。札幌より暖かい仙台では草体の成長は早く種子発射は時間の問題という状況になってしまう。

 仙台から避難する人の中には、かつてガメラと交信した少女、草薙浅黄の姿もあった。穂波と同じ自衛隊機で脱出することになった浅黄たちの前に、草体を破壊するためにガメラが出現。しかし、草体を護るために巨大レギオンも出現。ガメラと戦闘を繰り広げるが、草体の種子発射の直前に姿を消した。ガメラは草体が種子を打ち上げることを食い止めることには成功するが、草体の爆発に巻き込まれ、死んだように動かなくなってしまう。

 2度にわたって種子発射に失敗したレギオンと草体は、次はいよいよ首都に向けて進撃してくるのは間違いない。日本政府から防衛出動命令を下された自衛隊は、レギオンの予想進路上に防衛ラインを敷き、レギオン侵攻を迎え撃つ。そして、栃木県足利市で戦端は開かれた。自衛隊の総攻撃をものともしないレギオンの前に、防衛ラインは次々と突破されていく。そのころ壊滅した仙台では、穂波や浅黄、子供たちが集まり、ガメラ復活を祈り続けていた。その祈りが通じたのかガメラは復活。巨大レギオンと自衛隊との戦場に向けて飛び立った。後に残された浅黄の掌は血で染まっていた。ガメラ復活の瞬間に勾玉が砕けたのだ。

 ガメラと巨大レギオンの戦いが始まると、レギオンの群れもガメラに向かう。レギオンの群れが相手になるとガメラに勝ち目はない。花谷一尉がガメラ援護を進言するが、指揮を執る師団長はその進言を却下する。怪獣をなぜ援護しなければならないのか。自衛隊の火力は無限ではないのだ。その頃帯津はNTT名崎送信所に掛け合い送信所電波を最大にして、レギオンをおびき寄せる作戦を実行に移す。その間、ガメラと巨大レギオンの戦闘は熾烈を極めていた。ガメラが巨大レギオンの首都進攻を食い止めようとしているのはもはや疑う余地はない。師団長はガメラ援護を決断し、命令を下した。人類とガメラの共同戦線の行方は……。

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【映画の中の自衛隊】

   首都へと進撃するレギオンに、航空自衛隊のF-1支援戦闘機が航空支援を行う場面が出てくる。F-1は初の国産戦闘機であり、1977年に運用が開始され、2000年に後継機であるF-2の配備が始まったことで、2006年3月に全機が退役した。支援戦闘機というのは他国で言う戦闘攻撃機(Fighter Supporter:FS)のことである。自衛隊は軍隊ではないという建前を護らなければならない日本特有の事情から攻撃機という言葉が使えなかったため、海上自衛隊の艦船や陸上自衛隊の地上部隊を“支援する戦闘機”という意味合いで用いられた。戦車を特車と呼んだり、歩兵を普通科と呼んだり、大佐を一佐と呼んだりと、戦後の自衛隊は軍隊色を薄めるために言葉遊びのような言い換えをしてきたが、今の感覚からしてみれば、何て無駄な労力を……と思わないでもない。そんなふうに思うのは、戦後の自衛隊アレルギーを知らないから感じるだけで、現在のように自衛隊が認知されてきたのは、様々なクライシスを経験し、血の教訓があってのこと、というのは残念ながら事実なのだろう。なお、現在では支援戦闘機という区分は自衛隊では使用されず単に戦闘機と呼称されている。時代が変わったと思うと同時に、今では飛行しているところを見ることができない機体が映っていたりすると、もうそれだけの時間が経ってしまったんだなぁ、と感慨深い物がある。

 さて、血の教訓という意味では、本作が製作された1996年の前年の1995年は日本の危機管理を語る上で重要な年だった。1995年1月の阪神大震災、同年3月の地下鉄サリン事件とその後一連のオウム真理教事件。また6月にはオウム真理教信者を名乗る男(実際には全く無関係だった)によるハイジャック事件が発生し、戦後初めて警察による強行突入によってハイジャック事件が解決された。『ガメラ2〜レギオン襲来〜』がこれほど軍事色豊かな作品になったのも、危機に対する警鐘という明確な目標があってのことだろうと思う。阪神大震災では情報が錯綜し、自衛隊に災害派遣命令が出るまで4時間がかかり、多くの人命が失われた。また、出動しても消防の指揮下で思うように活動できなかったとも聞く。地下鉄サリン事件でも自衛隊の化学防護部隊はすぐさま出動態勢を整えたが出動命令がなかなか出ずに都に対して再三にわたり災害派遣要請を出すよう要請してようやく出動することができた。都の担当者に化学防護部隊に対する知識がなく、その必要性が理解されなかったためである。その間、世界で初めての科学兵器によるテロと対峙したのは化学兵器に対して何の知識もない駅職員・警察官・救急隊員・医師・看護師らであり、多くの二次被害を生むことになった。地下鉄にレギオンが出現した場面で、渡良瀬二佐が出動命令が出る前に現地に駆け付けるという演出を入れたのは、緊急事態が発生した場合、自衛隊の現地部隊が独断行動せざるを得ない状況に警鐘を鳴らしているのではないかと思う。

   また、現実にはならなかったものの、渡良瀬の台詞の中に、「この街で情報網がマヒしたら、この街で地下鉄網にレギオンが潜り込んだら」というものがあった。レギオンという言葉を使っているが、明らかに敵コマンド部隊の東京への侵入や工作員によるテロを意識した台詞のように思う。現代社会においては、大量破壊兵器以上に、秘密裏に都市部に潜伏した工作員、あるいはあえて社会的な地位を得た工作員のように、社会を内側から破壊したり、じわじわと蝕んでいく敵の方が、よほど恐ろしい存在なのかもしれない。残念ながら戦闘能力はとにかくオツムは虫並みのレギオンは、最大の敵であるガメラと巨大レギオンが交戦している最中に、罠にはまったとはいえ戦略的に全く意味のないところへ飛んで行ってしまうポカをやらかして全滅してしまう。もう少し利口だったらと思わないではないが、レギオンが戦略・戦術の概念を理解していたらガメラも自衛隊も勝ち目がなかっただろう。とはいえ、せっかくだから地下を通って東京へ侵入しようとするレギオンと陸上自衛隊との戦闘なども描いて欲しかったなぁ、と思う。まぁ、自衛隊とレギオンの銃撃戦は前年公開の『
ゴジラ対デストロイア』の二番煎じになることを嫌ってあえてシーンに入れなかったという側面もあったようだが。

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