ゴジラ対自衛隊 〜映画の中の自衛隊〜

海猿になぜ自衛隊は出てこないか


 2002年の映画第一作から2012年公開の『BRAVE HEARTS 海猿』まで、4本の映画とテレビドラマが製作されたフジテレビ製作の『海猿』。海上保安庁モノの代名詞ともいえるこの作品の中では、自衛隊の影は一切出てこない。それは何故か……まぁ、「海上保安官が主人公のドラマだからに決まっているじゃないか」と言われればそれまでで、そしてそれが理由なのは間違いないだろうと思う。が、このドラマの裏側で、自衛隊は何をしていたんだろうと、ちょっとだけ妄想してみる。

 さて、海上保安庁は海の上の警察であり消防である。海上自衛隊との違いは『防衛』を担う自衛隊と、『治安』を担う海上保安庁というところか。防衛省が管轄する海上自衛隊と国土交通省が管轄する海上保安庁は、任務が重なる部分がある。その発足は運輸省(当時)の下部組織として、1946年に海上保安庁が発足した。太平洋戦争の反省から、旧軍の影響力を出来るだけ排除した上でのものだった。1950年の朝鮮戦争勃発を機により軍事組織に近い海上警備隊が海上保安庁の附属組織として発足。その中には旧軍の関係者も多く含まれ、旧日本海軍に近い性質の組織であった。その後、警察予備隊が保安隊に変わる際に独立し、後の海上自衛隊へと繋がっていった。そういう行政区分の関係や発足の経緯もあって仲が悪いともいわれる両組織。1999年3月の能登半島沖不審船事件などをきっかけに、ようやく密接な協力体制が築かれるようになってきたという。

 自衛隊が出動するためには知事や管区海上保安本部長などの要請が必要になる。もちろん情報収集名目や近傍派遣など、ある程度自衛隊が自発的に動ける余地は残されているし、各駐屯地や基地には万一の災害や有事に備えて初動対処部隊(ファスト・フォース)が配備されている。阪神淡路大震災などの教訓を経て、「自主派遣」に関する条件が明確化され、1990年代までに比べて、迅速に動けるようになっているという。しかし、事実上の軍である自衛隊の出動には、慎重に慎重を期さなければならないのは当然だろう。自衛隊の出動がないということは、必要ないと判断されたということなのだろうが、要請する側の不見識やトップのイデオロギーや政治的判断などが割り込んでこないとは言い切れない、ように思う。

 映画第1作の『海猿-ウミザル-』は、海上保安庁の潜水士候補生たちのストーリーであり、自衛隊の登場する余地は全くない。もしも仙崎と三島があのまま流されていたら海上自衛隊にも捜索の協力が要請されていたかもしれない……くらいだろか。

 自衛隊が出動するのが海上保安庁や警察、消防の手に負えない事態に陥った時、といっても救助能力においては海上保安庁や消防のほうが優れているだろう。自衛隊の優位性はその動員力と自己完結性である。大規模災害ではなく単一の事故に対しては自衛隊の出る幕はないだろう。

 テレビドラマ版では、2001年12月の九州南西海域工作船事件をモデルにした不審船対処事案が描かれている。この件に関しては過程はあまり詳細は描かれないので、海上保安庁が独自に発見したものだったのか、防衛庁(当時)を通じて通報だったのかは分からないが、海上自衛隊が動いていないとは思えない。仙崎たち巡視船「ながれ」の現場レベルの視点で描かれたドラマではそれを窺い知ることができないだけで、画面の外側では護衛艦や哨戒機も補佐に当たって追跡していたことだろう。

 映画第2弾の『LIMIT OF LOVE 海猿』では、かなり大規模な事故が舞台になっているとはいえ、単独の事故であるのでやはり自衛隊の出番はなさそうに思う。全員の脱出には時間がかかる上に、フェリーに満載の車両から漏れたガソリンで爆発を誘発する可能性があるとはいえ、乗客は極めて整然と脱出しており、海難救助のスペシャリストである海上保安庁に任せておけばよい場面だろう。

 爽やかな恋愛作品だった『LIMIT OF LOVE 海猿』に対して、映画第3弾の『THE LAST MESSAGE 海猿』では途端にキナ臭くなってくる。舞台となる『レガリア』は日韓共同の施設で、ロシアからも技術提供を受けているという設定になっている。さらに1500億をつぎ込んだ施設であり、その金額と人命を天秤にかけるような台詞が作中に何度も出てくる。

 そんな背後関係があるせいか、海上自衛隊の救難飛行隊や航空自衛隊の航空救難団を出さなかったのは、国際的に注目を集める案件に、救助のためとはいえ、事実上の“軍”である自衛隊を出すことを嫌ったのではないかと穿った見方をしてしまう。人的な救難能力において海上保安庁と自衛隊のどちらが優れているかなど一概には言えないと思うが、装備――特に救難用のヘリの能力では圧倒的に自衛隊に軍配が上がる。民間仕様の中型ヘリである海上保安庁のS-76と、軍用の多用途ヘリである自衛隊のUH-60(どちらもシコルスキー・エアクラフト社製)では、例えば最大離陸重量は倍から違う。

 自衛隊は、島嶼からの急病人などの緊急搬送を担うことも多く、実は最も多くの災害派遣はそれである。海上保安庁の救難ヘリが入れない暴風の中でも、航空救難団のUH-60ならギリギリの時点まで救難活動ができたはずである。要救助者がいなければ、「レガリア」を沈めることもなかった。対外評価を気にするあまり、大損したように見える。

 

 まぁ、穿った見方をしすぎなだけで、自衛隊に派遣要請が出なかったのは、「レガリア」の中で暴風雨をやり過ごせるとの判断だっただろう。計算外は、海底からの供給が止まっていなかったことと、完全に消えたと思われた火種が残っていたことだろうか。

 映画第4弾の『BRAVE HEARTS 海猿』では、自衛隊という呼称が一度出てくる。海上着水のための誘導灯の設置のために各機関に連絡してかき集めるよう指示が出る場面である。このとき、「理由は言えないけれどライトを貸してくれ」なんて要請をしたわけではなく、計画の概要も説明しただろうし、要請を受けた自衛隊側も船艇の提供を申し出ただろう。それなのに、救助側に自衛隊の姿がないのは、自治体のトップが自衛隊への災害派遣要請に難色を示して待ったをかけた可能性はありそうに思う。

 原作の海上着水を扱った回では、航空自衛隊の戦闘機も出てきており、映画においても事態は航空自衛隊中部航空方面隊のレーダーサイト、早期警戒機、航空偵察隊など、あらゆる手段を用いての自衛隊の厳重な監視下にあり、墜落や想定外の場所に着陸する場合に備えて、陸上自衛隊・海上自衛隊も待機して備えていたはずだと思うが、それもやはり現場レベルでは窺い知ることはできなかったのだろう。

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