. . 聖書・「神のみことば」は、真理の尽きない泉です。深く掘れば掘るほど、豊かな甘い水を湧き出します。
このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
「イサクの生涯」 からの礼拝説教 : 第1講
■ 今日の「井戸掘り」

 「主は 広い処を与え」           創世記26:1〜5、12〜25 

  ■ 井戸を掘りましょう:

   先週、仰嗣兄弟が修学旅行で中国地方と京都に出掛けました。帰って来た 時、"何処が印象に残りましたか"と尋ねたところ、倉敷だそうです。白壁 の古い町並みが保存されていて美しかった、ということです。しかし、一番 印象に残ったのは瀬戸内海にかかった橋で、見事だったと言っていました。  橋、今、私たちはイサクの生涯を学んでいますが、イサクの生涯は正しく 島と島とを結ぶ橋です。旧約聖書にはしばしば「アブラハムの神、イサクの 神、ヤコブの神」という表現が出てきます。イスラエル民族の先祖で、三人 とも神のためにその生涯を生きた人々です。祖父アブラハム、その子イサク、 そして、アブラハムの孫ヤコブです。先週、イサクの長男エサウは長子の権 利を蔑ろにしたので、その特権を失ったとのことに眼を留め、私たちがクリ スチャンとして有している特権を蔑ろにしないように、と言ってメッセ−ジ を締め括りました。神の民の系図はアブラハムからイサク、そして、エサウ と書き綴られる筈だったのが、エサウの愚かな選択の故に、ヤコブが代わっ て選ばれました。アバウラハム、イサク、そして、ヤコブの三人の父祖たち、 イサクはその第二の輪で、アブラハムとヤコブをつなぐ橋のあ役割を果たし ています。

   アブラハムの信仰は冒険的な信仰で、前に前に進んで行く信仰でした。ま た、ヤコブの信仰は求めて獲得する信仰と言えます。

   先ほど、礼拝の賛美中、婦人牧師がひとりの赤ちゃんを抱っこしていましたが、眼鏡の フレ−ムの光っているのが、その赤ちゃんの眼に留まったのでしょう。しきりと手 を伸ばして取ろうとしていました。婦人牧師が体を反らして避けると、また、 手を伸ばします。心が惹かれたものを、どうにかして手にしようという熱心 さです。

   ヤコブの信仰にはこの熱心さがありました。アブラハムの冒険的な信仰、 ヤコブの求めて止まない信仰、それと比べたら、イサクの信仰は静かな信仰 でした。先週、私たちはこの事実に眼を留め、同じ神のために生きた人々で も、彼らの信仰の表現は異なっていたことを学びました。私たちクリスチャ ンも画一的になる必要はありません。その信仰の実質、キリストの贖いに依 り頼んで、自分の善行に依り頼まないこと、神のみことばに従って生きよう とする姿勢に於いては、同じでなくてはなりません。しかし、その表れにお いては異なっても良いのであって、アブラハムの果敢な信仰、ヤコブの求め て、求めて行く信仰、そして、イサクの静かに耐え忍ぶ信仰があるというこ とでした。

   さて、今朝は創世記26章を学びますが、イサクの生涯の記録は、

   ・21章−イサクの誕生
   ・22章−イサクの献納、モリヤの山での出来事
   ・23章−イサクの母サラの死
   ・24章−イサクの結婚
   ・25章−イサクの父アブラハムの死

となっています。私たちはこれらの5つの章を、アブラハムの生涯との関連 で父親の観点から学び、イサクにも言及しました。  今年の始め、昭和天皇が亡くなられました。64年にも亙る長い在位期間 で、今の平成天皇は50才を越えられても、なお皇太子であられたわけです が、イサクのアブラハムに対する関係もこれに似ています。イサクは長い間、 アブラハムに影のように付き添って、その信仰生活を送ってきました。

   しかし、25章19節から「イサクの歴史」が始まると記されています。 26章には以下、3つの区分があります。

   T イサクへの神の約束: 1〜 5節
   U イサクの偽りの行為:   6〜11節
   V イサクの忍耐と祝福:  12〜33節
   この章の最後の2か節は、七章と一緒にした方が良いでしょう。

T イサクへの神の約束:1〜5節

   アブラハムにとって与えられた祝福の約束がイサクにも繰り返されていま す。12章、殊に、15章を思い起させる記事です。15章1節には「きき んがあった」とあります。

   日本では、自民党が農家の支持票を繋ぎとめるために、減反を一時ストッ プしたところ、米の在庫が大きく増えるので、大蔵省から批判されたと、報 じられています。キキンなど思いもよらない状況です。

   しかし、アブラハムの時代、イサクの時代には飢饉は頻繁でした。現代で もアフリカの国々の人々にとっては、米の貯蔵量が大いのが悩みの種などと いう話は、夢のようなことなのです。アブラハム、イサクの時代には、人々 はしばしば飢饉に見舞われました。それは試練の時でした。

   15章にある戦いの後の恐れなかで、神はアブラハムに語りかけてくださ いました。26章、飢饉の困難の中で、神はイサクに語りかけてくださった のです。何と語り掛けなさったのでしょうか。2節「エジプトへ下るな。こ の地に滞在しなさい。わたしが共にいて祝福しよう」。イサクに対するアブ ラハム的祝福の繰り返しです。

   しかし、アブラハムの時と異なった要素があります。3節「アブラハムに 誓った誓い」、5節「アブラハムの服従、信仰」への祝福という要素です。 ブラジルは累積赤字がひどく、国の経済の立ち直る兆しが見えません。イン フレが益々悪化しています。イサクは過去の累積赤字ではなく、アブラハム からの累積的祝福の許にあったと言うのです。

   ロ−マ・カトリック教会では聖徒の功績という概念が、教会の権限維持の 土台になっています。一般の人々は善行と悪業とのバランスを取ると、善行 が不足しているとされます。それですから、彼らの教理に従えば、煉獄でそ のつぐのいをしなければなりません。しかし、稀に聖徒と呼ばれる人々がい て、善行が悪業より多く、余剰を持っているとされます。教会はこの聖徒の 余剰を管理して、足りない人々に分け与える権限を持つという、いかにもも っともらしい理論です。

   しかし、伝道会でしばしば語っているように、善い行いと悪しき行為との バランスをとることは、とてもできないことです。一回の殺人に対して、一 回の人助け、一回の盗みに対して、一回の施し、という具合にはゆかないか らです。罪の行為の結果生じた咎めにたいする解決は当事者からの赦しの宣 告のみです。お互いの間ではお互い同志の赦しが、犯罪でしたら、国の法律 による赦しの宣言が、そして、神の御前では、神の赦しが必要です。

   では、累積的祝福と言ったのはどのようなことでしょうか。クリスチャン・ ホ−ムの祝福を考えてみましょう。神を畏れ敬う家庭の雰囲気、これなどが その大きなものです。ある神学生は牧師の家庭に育ちましたが、中学生時代、 少々不良化して、おかあさんの祈りの課題でした。今、信仰に確立して、神 学生として学んでいますが、ある時、証しの中で"振り返って見て、友人と 悪いことをしながらも、心の奥の何処かに、神様が居られる、神様が見てい らっしゃるという意識があって、友だちと同じように悪の道に突っ走ること ができなかった。あるところに来ると心の中でブレ−キがかかった。それが しばらくして立ち直ることができた理由のひとつだとおもう"と言っていま した。

   私はそのお証しに耳を傾けながら、クリスチャン・ホ−ムの祝福に思いを 向けていました。私の場合、クリスチャン・ホ−ム育ちではありませんで、 ごく一般の世俗的な家庭の雰囲気の中で育ちましたが、神様がいらっしゃる、 という意識、理解を持つに到るのにどのくらい時間が掛かったでしょうか。 "神が居られることがわかれば、、、"と悩んだのです。それが大問題でし た。しかし、幼い時から、教会で聖書の話を聴き、祈ることを教えられて育 った人々の心には、理解を越えた神への意識が時として形作られてあるよう です。その他、多くの家庭にある、あるいは、キリスト教文化のもたらす累 積的な恵みの効果があると思います。

U イサクの偽りの行為:6〜11節

   イサクはゲラルに行きました。かって、父アブラハムも訪れ、長い滞在を 楽しんだペリシテ人の地です。しかし、この文節を学んでみますと、ここで イサクはアブラハムがかって陥ったと同じ罪に陥っているのをみます。この 事実から私たちは何を学びますでしょうか。

   先ず、一人の人の道徳的な弱さは遺伝的なもの、と考えて良いでしょう か。名誉欲、金銭欲、男女関係の問題、私たちを落とし入れる様々な罪の タイプがありますが、ある人は、その特定の罪に対する弱さ、傾きを示しま す。イサクが父アブラハムと同じ偽りの罪に陥ったということは、イサクが アブラハムと同様な道徳的傾向性、弱さを持っていたと言い得ますでしょう か。

   ある学者たちは、アブラハムに関して二回、イサクについてまたも記録さ れている偽りの行為に関する記録を、聖書が民話や伝説の寄せ集めだから、 編集の不十分さがあちらこちらで暴露されていると解釈します。しかし、聖 書は民話や伝説の寄せ集めではなく、神の霊感によって記述された神のみこ とばですから、実際起こったことの歴史的な記録なのです。そして、その歴 史的な記録を通して、神のみこころを語っています。

   それで、その聖書に語られている真理の一つが、人の道徳性と遺伝的要素 の関係です。人の性格、生き方は二つの要因から成り立っていると言われて います。そのひとつが環境的な要因です。

   今、西ベルリンと東ベルリンの壁が事実上なくなったに等しい状況が生じ ています。ある処では、実際壁を壊しに取りかかっているとのことです。東 西ドイツは共通の言語、文化背景を持つ同一民族です。それが28年前、突 如政治的な理由から、隔ての壁が建てられました。彼らにとっては28年は 長い年月だったでしょうが、環境と遺伝の関係を考えるには、短い期間と言 えましょう。もし、分離が100年、200年単位で続いたなら、同一民族 ですが、東西ドイツにあるいは大きな違いが認められる時が来たかもしれま せん。環境的な要因です。

   さて、遺伝的な要因は、身体的な特徴と共に、病気の分野で最近注目され ています。病院では、患者さん個人の病歴をカルテに記録として残すのみな らず、親、兄弟の病歴が判断の助けになるとのことです。即ち、結核体質と か、糖尿病になりやすい体質とかがあるようです。遺伝的要因がある特定の 病気へのかかりやすさを支配しているのです。

   道徳的素質においても同様に、子が親と同じ傾向性を持つというのは十分 頷けることです。

   更に、この出来事から罪の普遍性を見ることができないでしょうか。聖書 は人は凡て罪の腐敗のもとにあって、誰も罪の毒素から逃れることいないと 教えています。ある宗教は性善説と言って、人は生れきつ善であって、悪を 行うのは生まれた後の環境の為せるところであって、人間そのものが悪なの ではないと教えます。性悪説を教える聖書の人間観は暗いと言って批判しま す。確かに聖書は、人は生れつき罪人であって、それゆえ罪の行為に走るの だと教えています。人は「新しく生まれなければ」、神からの新しい生命を 受けなければ「神の国を見ること」、味あうことはできないのです。

   アブラハムとイサクに戻りましょう。アブラハムは神を畏れる父親でした。 インドなどに行きますと、泥棒カ−ストというものがあって、子どもに盗み を教え、乞食をさせるグル−プがない訳ではありませんが、アブラハムの場 合、イサクに偽ることを教え、悪を奨励したとは思えません。逆に、こうし たことを厳しく諌めて育てたと思います。それにも関わらず、イサクを始め として子どもたちは、如何に容易に悪を、偽ることを身につけることでしょ うか。聖書は、アダムの罪において、凡ての人は罪にとらわれる結果となっ て、キリストの十字架による救いなしには罪の解決、勝利はないと教えてい ます。聖書は暗い人間観を示していますが、それと同時に「罪の増し加わる ところには恵みも満ちあふれました」と言って、人類に、私たちに希望を提 供しているのです。

   創世記に戻りましょう。この章に書かれている出来事自体はアブラハムの 生涯に見たことと同じで、イサクは自分の妻リベカを「妹」と言って偽りま す。それがやがて露見し、ペリシテ人の王アビメレクの適切な処置で更なる 悪い結果が生じるのが回避できたと言う事件でした。

V イサクの忍耐と祝福:12〜33節

   今朝の教会学校の学びは「イサクの井戸堀」でしたが、分級がクリスマス の準備に入りましたので、合同学級で浅利姉がフランネル・グラフを用いて その物語を見せてくださいました。大変楽しくて感謝でした。

   12節を見ますと「主が祝福してくださった」とあります。ある人々は、 神の祝福ということを考えるに当たって、人間的な要素を一切考えません。 しかし、ある学者は、イサクは井戸を堀り、今で言う潅がい技術を活用した ので「百倍の収穫を見た」のだと説明しています。

   今のイスラエルは1949年でしたでしょうか、バッファロ−宣言によっ て突然国家として出現し、それまでパレスチナ人たちが居住していた地域に 国を形成し始めました。そして、この新しいイスラエルの許で、ネゲブと言 われた南の荒地地帯、砂漠地帯が、緑の森林に変容しているのです。

   イサクはいわばその先駆者で、技術革新によって通常の百倍の収穫を得ま した。ペリシテ人はそれを見て、14節、妬み、15節、妨害したのです。 しかし、イサクは17節にあるように、静かにそこを立ち去って、又しても 井戸を掘りました。20節に又しても、妨害されています。21節、彼は又 井戸を掘りました。イサクは妨害されても、妨害されても、退くいは井戸を 堀り、、、、といって忍び通したのです。彼の信仰の姿勢は忍ぶ信仰でした。

   別府教会は祝福された教会の一つですで、順調に成長している教会ですが、 今の会堂は三つめの会堂です。前の会堂が狭くなったから、ということもあ りますが、それとともに移転の理由は周囲の妨害でした。この前の場所では、 周囲の人が、勿論一部ですが、教会からの賛美の歌声がうるさいと苦情を言 ってきたのです。市役所から係官が来て、何フォ−ンあるか調べました。教 会の前は道路を隔てて石材店で、そちらの雑音の方がずっと大きかったので す。しかし教会は更に広い処を見つけて、新しい会堂を建てました。正しく、 創世記26章22節「今や、主は私たちに広い処を与えて、私たちがこの地 でふぇるようにしてくださった」のです。結局、イサクの信仰は報いられま した。25節「イサクのしもべらは、そこに井戸を掘った」、32節「ちょ うどその日、イサクのしもべたちが帰って来て、彼らが堀り当てた井戸のこ とについて彼に告げて言った。『私どもは水を見つけました。』」

   これこそが凱旋的な信仰の姿です。イサクの信仰は、度重なる妨害にもか かわらず、それにめげず、前進し、又しても又しても泉を堀り当ててゆく信 仰です(1989/11/12、礼拝)。

■ キリスト、ペテロの足を洗う

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