聖宣神学院・院報から 「若い同労者への折々のメッセージ」(復刻版)


■  神学院・院報シリーズ:2000/03

「キリストの苦しみ」

 「私は、キリストとその復活の力を知り、またキリストの苦しみにあずかることも知って、、、」
(ピリピ 3:10 )

  この3月の半ば、教会カレンダーでは「受難節(レント)」を迎える。レントとは、プロテスタント諸教会ではあまり守られることがないが、受難週に先立つ「灰の水曜日」から「復活節の聖日」までの40日間のことである。この期間、伝統的な教会・信仰者たちは、キリストの御苦しみを偲んで肉類や乳製品を絶ったりする。形式に流れてしまうことは堅く戒めなければならないし、警戒が必要であろう。しかし、キリストの御苦みに想いを寄せる機会をより多く持つことには意義がある。
  さて、使徒パウロは、ガラテヤの教会に書き送って、再び「産みの苦しみをしています」と言っている(ガラテヤ4:19)。一人の人をキリストのあって新しく生まれ変わらせるための伝道者の労苦は大きい。ましてや、ひとつの教会を産み出す労苦たるや、更に大きいのである。  コロサイ人への手紙には、パウロは「すべての人を、キリストにある成人として立たせるためです。」と書き送り、そのために「労苦しながら奮闘しています。」と続ける。パウロは、産みの苦しみに続いて、育てる苦しみを味わった。産みの苦しみは、ひとつのことであり、育てる苦しみは、また、別の苦しみ、労苦なのである。
  更に、第二テモテ2:3には、パウロは「キリストのりっぱな兵士として、私と苦しみをともにしてください。」と書きている。成人した者に、次に待っているのは、福音のための戦いにおいて、苦しみを分かつことである。伝道者は、その苦しみをまた共にするのである。  パウロは「産むことの苦しみ」、「育てることの苦しみ」を味わい、そして「苦しみをともにして戦うこと」を経験た。そして、その苦難の連続の生涯において、苦難をもよしとし、労苦をものともしない心情・姿勢の秘訣は、実に「キリストの復活の力を知り、、、」との一事にあった。
  私たちはどれだけ「キリストの苦しみを知り」、また「キリストの復活の力を知っているであろうか。」  この月、レント・受難節に踏み込むにあたって、キリストの御苦みに一層の想いを向け、それを知るよう心しようではないか。

■  神学院・院報シリーズ:その2

■  神学院・院報シリーズ:その4

.                                     聖書の写本:日本聖書協会・前総主事の佐藤氏の提供


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