聖宣神学院・院報から 「若い同労者への折々のメッセージ」(復刻版)


■  神学院・院報シリーズ:その4

「IGM総会・年会を越えて」

 「七つの金の燭台の間を歩く方が言われる」
( 黙示録2:1 )

  カレンダーの日程上、年会の時期が例年より早く、この原稿執筆の時点では、第52期生の入試が終わっておらず、何人の兄弟姉妹が学びに就かれるか、未だ判明していない。第48期生としての卒業予定者は、
     ・ 茅根久子姉(IGM生) 任地未定、一人である。
しかし、聴講生として学んでいた
     ・ 蔦田就子姉(IGM生) ケニア
は、年会を越えて直後の3月28日(火)に、これからの奉仕(医療宣教)の地に出発される。
  さて、今年は年会に先だって、第15次総会が開催され、新しい教団総理が総会代議員全員によって選出される。教団の歴史にまた新しい一頁が加えられるわけである。
  教会の指導者を考える時、旧約時代のイスラエルが、その統治の形態が族長時代から王朝時代へと変化してゆこうと、イスラエルを創造し、贖い出した主である神によって統治されていたと同様に、キリストの教会は、その首(かしら)であり、教会を罪の世から贖い出し、この世に宣教の使命を与えて派遣されたお方によって支配されていることを、決して忘れてはならない。第一世紀のアジア(現在のトルコ地方)にあった諸教会の間を歩いておられた羊の大牧者は、今も世界中に散って存在するキリストの教会の間を歩いておられる。  そのお方を忘れて、最早意識できないほどに人間的な指導者の存在が大きくなることは、キリストの教会にとって危険なことである。「初めであり、終わりである方、死んで、また生きた方」など、この黙示録2〜3章に描写されているお方は、それぞれの教会に語り掛けて「知っている」と言われる。  教会が置かれている状況、直面している困難・問題も、教会の行い・労苦・奉仕、忍耐、そして、愛と信仰も、更には、教会の霊的状態も、「金の燭台の間を歩く方」は「知っておられる。」そして「死に至るまで忠実でありなさい。そうすれば、わたしはあなたにいのちの冠を与えよう。」と今も語っておられる。  わたしは「知っている。」=ペテロは、自分の心の状態さえも「あなたがご存知です。」と言って、あのガリラヤ湖畔で、復活の主にすべてを委ね、従ったのである。

■  神学院・院報シリーズ:その3

■  神学院・院報シリーズ:その5

.                                     聖書の写本:日本聖書協会・前総主事の佐藤氏の提供


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