. . 聖書・「神のみことば」は、真理の尽きない泉です。深く掘れば掘るほど、豊かな甘い水を湧き出します。
このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
「ペテロの手紙」 に学ぶ : 第2講
■ 今日の「井戸掘り」

    「イエス・キリストの使徒ペテロから、、、」                   ペテロの手紙1:1〜2A 

  ■ 井戸を掘りましょう:

   ペテロの元の名は「シモン」でした。それは、恐らく、彼の親か、親に頼まれた名付け親かが、彼の誕生に際して彼に与えた名でした。「シモン」は、旧約聖書に多く見る「シメオン」と同じ意味で、「聞く」という意味を有しています。イスラエルの信仰を言い表している申命記6章4節は「聞け(シーマ)。イスラエル、、、」で始まっています。子の名には、しばしば親の期待が込められていますが、ペテロの場合も、シモンと名付けられた子が、神に聞き従う子になるようにとの期待が込められているのでしょう。

   さて、ペテロと言う名に戻って、それは、主イエスが、ペテロと出遭ったときに、彼に与えた名でした。「『ケパ』(訳すと「ペテロ」)と呼ぶことにします。」それは「岩」を意味していました。キリストは、揺るがない強固なものにしようとして、シモンにそのような新しい名を与えれました。主イエスが命名されるとき、それは、親が命名するときと異なって、期待感ではなく約束が表明されています。すなわち「ペテロ。わたしは、あなたを『岩』にする。『岩』のような堅固なものにしてあげよう。」という約束なのです。

   「岩」は、旧約聖書では、しばしば、神を象徴するものとして用いられています。堅固で、依り頼み甲斐のある存在と言う意味が含まれています。ペテロと言う名にも、ペテロが信頼するに値する人物であるとの意味が含まれているのです。ペテロは、その期待に背かず、初代教会にあって、人々の信頼を集めました。ペテロの大きな失敗にも拘らず、教会、すなわち、1世紀のキリスト者は、ペテロのリーダーシップを認めたのです。ペテロが信頼できる人物だったからです。ペテロは、正に、迫害の中にあっても、揺るぐことのない、信頼に値するキリスト者、教会のリーダーになりました。

   よく、「名前負け」と言うことを耳にします。名前だけが素晴らしく、その名の持ち主は、それほどでもない時に言われます。ペテロは、名前負けしませんでした。主イエスの期待に応えて、また、主イエスの尊い約束のゆえに、正に「岩」としての生涯を生き抜きました。これから学ぶ手紙は、そのような人物の筆になるものです。

■ キリスト、ペテロの足を洗う

高知県・越知町の大樽の滝   ☆印をクリックしてください


Copyright2004 PZH
Allrights reserved. 許可なく転載を禁じます。

■ トップ・ページにもどる