このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
■ 今日の「井戸掘り」
. . 「ポント、ガラテヤ、、、、に散って寄留している、選ばれた人々、すなわち、、、、」 ペテロの手紙1:1〜2B
■ 井戸を掘りましょう:
ペテロの手紙の受取手は、この節に示されているように「ポント、ガラテヤ、カパドキヤ、アジア、ビテニヤに散って寄留している、選ばれた人々」です。彼らが、このような広範な地域に散らされた理由は、エルサレムを中心にして起こったキリスト教会への迫害の故でした。イエスを信じていた人々は、同族からの、また、ローマ帝国の激しい迫害を逃れて、エルサレムを離れ、各地に散って寄留していたのです。彼らは、信仰においてアブラハム同様であっただけではなく、立場上もアブラハム同様、この世にあって寄留者・旅人でした(ヘブル11:13)。
パウロの手紙に「神を愛する人々、すなわち、神のご計画によって召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを。私たちは知っています。」という良く知られた聖句があります(ローマ8:28)。この聖句の語る真理は、彼らにとっても正にそうでした。迫害によって、生まれ故郷や、懐かしい住まいの場所から散らされたことは悲しいことでした。しかし、ローマ帝国各地に散らされたことによって、福音はローマ帝国の様々な地域へと彼らとともに広がってゆきました。野火を消そうと思って炎を叩いた結果、火の子が更に散って、火の勢いは益々増し、「燎原の火のように」と言われるように、広がっていったのでした。
迫害であれ、その他のどのような困難であれ、キリストを信じ、従う信仰者を打ち負かす情況は何もありません。使徒ヨハネが言うように「神によって生まれる者はみな、世に勝つからです。私たちの信仰、これこそ、世に打ち勝った勝利です。」紀元300年を少し越えますと、コンスタンチヌスをローマ皇帝としたローマ帝国は、キリスト教に対する態度を変え、キリスト者を迫害することを止め、先ず、帝国内で信仰の自由を彼らに与えます。そして、それから数年経たないうちに、キリスト教を国教とするに至ったのです。迫害によって、散らされなかったら、このように広く帝国内に、キリスト教が広がることはなかったでしょう。神は迫害さえも用いて、福音の伝播を計画されたのです。
■ キリスト、ペテロの足を洗う