司法の現場の誤った歴史認識@ A B C

 

はじめに

これは、私の論文ではない。「到知」と言う雑誌の3月号の「視点」に寄稿された、稲田朋美という女性弁護士の論文である。極めて的確で現代日本の歪んだものが明白に指摘されているのでここに披露して人口に膾炙したい。

稲田朋美氏の略歴

昭和34年福井県生。56年早稲田大学卒業後、57年司法試験に合格、60年弁護士登録、西梅田法律事務所を主宰。

寄稿の全文

副題―国家に命を捧げた英霊に祈りを捧げずして日本人の心は取り戻せない。

本文
靖国裁判の本当の狙いは政治的イデオロギー闘争

平成138月13日、小泉純一郎首相が靖国神社を参拝しましたが、それが違憲であるとして、全国の宗教関係者や市民団体と称する人々約2千人が、国と小泉首相を相手取り損害賠償請求訴訟を起こしました。東京、千葉、大阪、愛媛、福岡、沖縄の六つの裁判所で審議が進められたのですが、特筆すべきことは大阪と愛媛の訴訟では靖国神社までもが訴えられていることです。これまでも首相の靖国参拝を巡る訴訟は何度かありましたが、靖国神社が被告になったのは今回が初めてであり、特異な裁判となりました。

大阪地裁では、靖国神社を支援する人々が補助参加申し立てをし、私はこれらの人々の代理人として靖国訴訟に関わってきましたが、原告の戦い方を目の当たりにし、彼らの真意に気付きました。原告は裁判所を利用して、反戦運動、イデオロギー運動を展開したいだけなのです。

それを最も象徴するのが福岡地裁の判決でした。既に判決が出た大阪(二件)、松山、福岡、千葉の五件では、すべて原告の請求が棄却されました。

しかしも福岡地裁だけは主文で請求を棄却したにも拘わらず、理由中の(傍論)の中で「首相の靖国神社参拝は違憲である」との憲法判断を下したのです。

仮に、首相の靖国参拝を違憲と理由中に判断するなら原告の請求を認めるのでなければ意味がありません。棄却しておきながら傍論で憲法判断に及ぶことは、裁判官の個人的信条を述べたに過ぎず、越権行為にほかなりません。

マスコミがそのような背景を詳しく知らせずに「首相参拝、違憲判決」と大々的に報道したため、国民に正しく理解されていない向きがありますが、請求が主文で棄却されたということは、原告側の完全敗訴なのです。(続く)