. . 聖書・「神のみことば」は、真理の尽きない泉です。深く掘れば掘るほど、豊かな甘い水を湧き出します。
このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
「アブラハムの生涯」 からの礼拝説教 : 第15講
■ 今日の「井戸掘り」

 「アブラハムはサラを葬った」           創世記23:1〜20 

  ■ 井戸を掘りましょう:

   今年の夏は例年と異なって、九月に入ってからもいわゆる熱帯夜が九日間 も続きました。暑さがなかなか衰えません。しかし、日本の場合、常夏のジ ャマイカなどと違って、"暑い、暑い"とは言っても、空を見上げますと、 真夏の入道雲に代わって、秋のいわし雲が目につきますし、暑さは依然とし て続いてはいるものの、耳をすましますと、虫の音が聞こえてきます。暑さ の中にも確かに秋の雰囲気は忍び寄りつつあるのです。  さて、私たちは旧約聖書からアブラハムというひとりの人物を取り上げ、 学んできました。彼が持っていた信仰が、彼が歩いた人生の道筋にとって、 どのような意味を持っていたのか、信仰は彼の人生に何をもたらしたのか、 など考えてきました。アブラハムの生涯は、創世記一一章の末から、二五章 にまでまたがって記録されていますが、今朝はその二三章を学びます。彼の 人生の夏が去って、秋へと踏み込んでいった時期の出来事の学びです。即ち、 彼の長いそれまでの人生の伴侶者サラの死の記事を学びます。  去る九月一五日は"敬老の日"でした。老人問題がよくマスコミによって 取り上げられますが、聞くところによると、北欧などでは何百年か掛けて今 の高齢化社会へと移行してきたそうですが、日本ではこの一〇年、二〇年で 高齢化社会に移り、それ故、多くの問題、課題を抱えているのが現状です。 統計によりますと、女性の方が長生きで、八〇才以上の人は、三人に二人が 女性とのことです。男性の多くは"老後、妻の世話になる、世話になりたい" といった考えを持っているようですが、奥さんに先立たれ、男やもめになっ たケ−スが一番大変であり、惨めであるとのことです。  さて、二三章二節をみますと「サラが死を迎えた」ことをみます。今の日 本の現状では、妻が先だって、年老いた夫の方がやもめとして遺されるとい う一番問題が多いケ−スにアブラハムは直面したことになります。しかも、 今のような社会福祉といった考えや、制度の皆無の時代のことです。アブラ ハムは一体どのようにしてその危機を乗り越えていったのでしょうか。  それを考えるにあたって、二三章と二二章との関係をちょっと吟味してお きましょう。ある人は二二章と二三章との間には、二五年という歳月が挟ま ていると言います。二三章一節にサラの一生が一二七才だったとあります。 サラのイサク出産の歳が大体推定できますので、そこから計算しますと、確 かに二つの章の間にほぼ二五年の年月が流れたことになります。  私たちの人生には、時に急流のように出来事が次から次へと起っては、流 れ下るという時期がありますが、アブラハムとサラの晩年は、多くの場合に そうであるように、大きな河が海に注ぎ込む河口近くまできますと、流れが 動いているのか、いないのかわからないような処がありますが、それと同様 で、水はゆったりと流れて行ったようです。かって耳にした滝の轟音や、早 瀬の音は皆消えてしまって、ゆっくりゆっくりと水が動いてゆくのです。そ して、いつの間にか海に注ぎ込みます。アブラハムとサラの晩年は将にそう でした。二五年という歳月が何も特記することなしに過ぎ去っていったので す。単調そのものの毎日だったでしょう。そして、サラはある日、死の時を 迎えたのです。

T アブラハムの涙

   第2節をみますと、アブラハムの生涯における最初の「涙」への言及があ ります。アブラハムがカルデアのウルを出発した時、彼は七五才でした。し ばらくをハランで過ごして、彼は遂にカナンに到着しました。彼の心は嬉し さでいっぱいだったに相違ありません。そのときも、彼が「涙」を流したと は記録されていないのです。ロトがケダラオメルの軍勢に連れ去られた時、 アブラハムは三一八人の手勢を引き連れて、ロトとその家族の奪回を敢行し ました。大軍に奇襲をかけてロト奪回に成功し、ロトとの再会が許されまし たが、アブラハムがその時、「涙」したとは記録されていません。長年まっ て待って、ついに約束の子イサクが誕生した時、サラは笑ったと聖書は記し ています。アブラハムはどうしたでしょうか。彼がその時も泣いたとは、聖 書は記していません。あのモリヤの山の出来事、愛するひとり子のイサクを 祭壇の上に横たえた時さえ、アブラハムの「涙」を見たとは書かれていない のです。しかし、サラが世を去って行った時、アブラハムは嘆き、涙したの です。彼の生涯で始めて涙したと記録されている場所です。アブラハムは、 「信仰の父」と呼ばれ、信仰に秀でた人物でした。強い信仰の持ち主だった のです。しかし、そのアブラハムがここに到って、妻サラの死に際して「涙」 したのです。この「涙」はアブラハムのサラ、同じく信仰の道を歩んできた 妻、に対する彼の愛の深さを物語っています。ふたりの結びつきがどのよう に強く、麗しいものであったかの証しなのです。ふたりが同じ信仰の持ち主 でなかったら、彼らの愛は、彼らの夫婦関係は高められただろうかと考えま す。同じ神に仕えるふたりとして、彼らの間の愛はこの上もなく強固なもの になっていたのです。  そして、ふたりの結びつきが固ければ固いほど、ふたりの別離は痛みを伴 ったものでした。彼の「涙」は、この心に痛手を物語っています。別離の悲 しさを証ししています。アブラハムにとって、妻サラの死は最大の喪失であ ったのです。アブラハムの人間性のゆたかさを、彼の「涙」は物語っていま す。ある人は信仰を持つと非人間的になって、悲しみや痛みなど感じない人 になることだと誤解します。人生の試練など、何も知らない、感じない人が 信仰者だと思うようです。しかし、真の信仰は人を、本当に人間的に豊かに します。  数年前、川崎で子どもが交通事故にあった事件がありました。この子は苦 しい息で"生きたい"と言ったそうです。お医者さんは輸血をすれば助かる からとこの子の親たちに語りましたが、双親はある宗教に入っていて、輸血 を拒否しました。子こもは結局死にましたが、その時、その父親は涙ひとつ 見せないで、自分たちが信仰を貫いた事を誇るかのような態度で"これでよ い"といった感想をもらしたと聞いています。"彼の信じる神のみこころだ った"と言うのです。彼らの宗教は、彼らから人間味を奪いとって、非人間 的な性格を生み出したようです。  アブラハムはサラの死に際して、彼の人生で始めて涙したのです。嘆いた のです。信仰は強くありましたが、人間的な豊かさを失うことはありません でした。逆に、彼の信仰は彼をいっそう人間として豊かな人としたのでした。  アブラハムのサラの死に際しての「涙」に関して、ある人は大変うがった 註を加えていますので、それを紹介してみましょう。この人は"なくなった 人を前にして流される涙には、いろいろな意味合いが込められていると言う のです。アブラハムは愛する故に、その愛する者との別離を悼んで涙したの でした。しかし、ある人は、なくなった人と仲違いをしていて、その喧嘩の 相手が突如としてなくなったので、仲直の機会を逸したといって涙するのだ そうです。生きているうちに"ごめんなさい"とお詫びしておけばよかった。 しかし、今となってはお詫びもできない。それで流す涙は、悔いの涙です。 "ああ、申しわけなかった。傷つけたままで、、辛い思いをささたままで、、 、、"という悔いの涙です。"もう取り返しがつかない"という涙です。  私たちがなくなった人を前にして涙する時、私たちの涙は、愛の涙ですか。 それとも、悔いの涙ですか。別離ゆえの悲しみ、涙を止めることはできませ ん。泣くべき時には、泣かなくては心の痛手は癒えません。泣かないままで じっと耐えてしまいますと、心の奥に癒されないままで傷が残ってしまうこ とがあります。悲しい時には泣いてもよいのです。信仰者だからといって、 痩せ我慢は禁物です。  しかし、悔いの涙、ああしておけばよかった、こうしておけばよかった、 といって流す涙は、ないようにしたいものです。生きている間に、悔いのな いように凡ての人々との関係をキチンと正しておきましょう。和解すべきこ とがあったら、手遅れにならないように、今のうちにしておかれますように。 詫びるべきことは、今のうちに、詫びておきましょう。いつ相手が死んで、 悔いを残すことにならないとも限りません。  もし、悔いを残したままで親に先立だれ、兄弟が世を去ってしまった。友 を失ったということがあるなら、キリストの十字架を仰ぎましょう。そこに 赦しがあり、解決があります。

U アブラハムの自覚

   三、四節。「アブラハムは、その死者のそばから立ち上がり」とあります が、どのくらいの期間が経った時のことでしょうか。アブラハムは、ヘテ人 に「私はあなたがたの中に居留している異国人ですが」と語りました。ヘブ ル人への手紙一一章一三−一六節を見ますと、彼はヘテ人の間にあった時の みならず「地上では旅人であり寄留者であることを告白していたのです。」 とあります。アブラハムが様々な危機の中にあって、その信仰を守られ、こ こまで来ることができ、また、妻の死という人生最大の危機を乗り越えるこ とができたのは、明らかにこの人生観のゆえでした。地上での生涯は寄留者、 旅人として日々だという常住的な意識です。  あるアメリカの医師が、ストレスの問題と取り組んで、ストレスがある限 度を越えると、それが発病の切っ掛けとなることに気づきました。それで、 この医師はストレスの程度を自分で弁えるためにある基準を作成しました。 ストレスの原因となる人生の様々な出来事に、いわゆる「ストレス度」とも いうべき点数をつけて、その総計が一〇〇を越えると、ストレスが形となっ て病気となって出てくるというのです。この医師は伴侶者に死に最大のスト レス度をつけています。  アブラハムはこの危機を見事に乗り越えたのです。彼の秘訣の一つは、寄 留者・旅人の自覚です。彼の甥ロトは所有物が増し加わるにつれて、その重 さで引き落とされ、地上生涯に縛りつけられてしましました。いつの間にか ロトにとっては、この地上生涯が凡てとなってしまって、そこに彼の持ち物 があるのみか、彼の心も地上に縛られたのです。彼は寄留者として、天にあ る「さらにすぐれた故郷、天の故郷にあこがれる」(ヘブル一一・一六)こ とを止めてしまいました。しかし、アブラハムは、どんなに所有物が増し加 わっても、それが彼を天的な生涯から地上へと引き降ろし、そこに釘づけに してしまうことはありませんでした。彼は物を神から与えられた恵みとして 活用して生きたのです。アブラハムは生活は地上で営んでいましたが、心は いつも天に向けていたのです。それに比して、ロトは身も心も地上に向けて しまったのです。それが彼にとっての失敗の原因であり、やがて凡てを失う ようになる原因でもありました。しかし、アブラハムは「天の故郷にあこが れていたのです。」

V アブラハムの信仰

   4〜6節。ここにはアブラハムの願いがあります。"妻サラの為にヘテ人 の地に墓地を譲りうけたい"という願いです。この願いに対して、ヘテ人は 「あなたは私たちの間にあって、神のつかさです。」と言いました。アブラ ハムの信仰は証しのたった信仰だったのです。周囲の異邦人が皆、アブラハ ムが「神のつかさ」であることを認めたのです。  七−一一節を見ますと、アブラハムの信仰が焦らない信仰、神を待ち望む 信仰であったことが判ります。サラはキリヤテ・アルバ、今のヘブロンで起 こったことを考えてみましょう。このヘブロンは後にユダの王ダビデが自分 の住まいの町とした処です。即ち、神がアブラハムとその子孫に与えると約 束された土地、イスラエル民族への嗣業の土地の一部だったのです。しかし、 この時には、未だ神の時が来ていませんでした。この辺りはヘテ人の所有と されていたのです。  もしアブラハムの信仰が熱狂的な信仰であったなら、彼はヘテ人に"これ は神が私と私の子孫に与えると約束した土地だから、、、"と主張したかも しれません。しかし、アブラハムイサクの誕生から、神の時を待ち望むとい う信仰を学んでいました。神の時を待たずに、自己を主張することの愚かさ を、彼はこの時、弁えていたのです。イシマエルをもうけ、周囲に多くの問 題と痛みを与えたことは、彼にとって大きな代価でしたが、彼は無駄に代価 を払ったのではありませんでした。彼は信仰の、待ち望む信仰のレッスンを 学び取ったのです。ヘブロンはアブラハムにとって神の約束の地でした。し かし、その時、その地は未だ他人の所有だったのです。アブラハムは静かに 神の摂理の時の来るのを待って、土地を得るための通常の交渉をしました。 九節。  アブラハムの信仰は、また、友情、人間関係を大切にする信仰でした。一 一節、ヘテ人は、アブラハムの人望の故でしょうか、「畑地を差し上げます」 と申し出ました。しかし、アブラハムは、一二節、一三節にあるように、そ の好意に感謝しつつ「私は畑地の代価をお払いします」と申し出たのです。 こうした遣り取りの中に、アブラハムが人間関係を大切にして生きている姿 勢を学びとることができます。  ある人は、神さえ喜んでくださるなら、周囲の人が何と思おうと、感じよ うと構わない。私は神の「前を歩み、全き者であれ」ば、それで十分という 態度が、いっそう信仰的な態度だという考え違いをしています。  アブラハムには相手の気持ちを大切にしようとする心遣いが感じられます。 彼の信仰は円熟した信仰だったのです。  アブラハムは、こうして入手したマクペラの畑地のほら穴に、サラの遺体 を葬りました。長い人生の伴侶者の死という人生最大の危機を、恵みによっ てアブラハムは乗り切り、なお、彼は信仰によって前進してゆきます。今朝 はもう学ぶ時間がありませんが、二四章一節を見ますと「アブラハムは年を 重ねて、老人になっていた。主は、あらゆる面でアブラハムを祝福しておら れた。」と書かれています。敬老の日を越えたばかりですが、私たちの教会 のご年配の兄弟姉妹が、アブラハムのような祝福された晩年を送られるよう お祈り致します(1989/09/17、礼拝)。

■ キリスト、ペテロの足を洗う

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