■ 今日の「井戸掘り」
. . 「天は神の栄光を語り告げ、大空は御手のわざを告げ知らせる。昼は昼へ、話を伝え、夜は夜へ、知識を示す。話もなく、ことばもなく、その声も聞かれない。」. 詩篇19:1〜6
■ 井戸を掘りましょう:
. .ダビデは、聞こえない声を聴いていました。天が語り、大空が告げるそのことばを。何と崇高な自然観でしょうか。ダビデの信仰では、創造主が被造物と混同されることはありません。
. .しかし、人間の悟りに基づくと言われている一般の宗教を見ると、しばしば自然が神格化(仏と)されて礼拝の対象そのものになります。日本の「天照大神」、「大日如来」、カナン人の「モレク」、そして、エジプトの「ラア」、これらの神々は皆、太陽が神格化されたものです。太陽の恩恵の大きさに心を向けた人々が、太陽を神として崇め奉った結果、生み出されました。
. . ダビデも太陽の恩恵に気づかない訳ではありません。「天の果てから、、、天の果て果てまで」、「そのあたたまりを蒙ら」ないものはありません(6節、文語訳)。地上の動植物のすべては太陽の光、熱によって、そのいのちを保たれていることを弁えています。しかし、その太陽を神格化して拝むのではなく、その太陽を大空に配置された創造主へと、ダビデの思いは向いてゆくのです。ダビデの耳には、天が「神の栄光を語り告げ」ているのが聞こえるのです。
. .多くの宗教は、自然を神格化して礼拝するばかりでなく、人をも神格化して祀り上げます。その例を列挙するまでもないでしょう。日本の神社に祭られている神々はみな、そのような人の神格化された神々です。聖書は、そのような行為を「自分では知者であると言いながら、愚かな者となった」結果だと言っています。更に、彼らは「不滅の神の御栄を、滅ぶべき人間や、鳥、獣、はうもののかたちに似た物に代えて」しまったのだ(ローマ1:22、23)、と断罪しています。
. . ダビデが、そのような罪に陥ることはありませんでした。彼は、はっきりと天の、否、天そのものではなく、天からの創造主の語り掛けを聴いていたのです。