■ 今日の「井戸掘り」
. . 「まことに、私のいのちの日の続く限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。私はいつまでも、主の家に住まいましょう。」. 詩篇23:6
■ 井戸を掘りましょう:
. . 主イエスは山上の説教で「神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。」(マタイ6:33)と語られました。「衣食」それに加えて「住」といった生活のための基本的な必要は、私たちの父なる神との関係が正しければすべて与えられるという信仰へのチャンレンジです。ダビデの生涯を見ますと彼がこの信仰に生きていたのをみます。ダビデがアブシャロムの追求を逃れてエルサレムの王宮を後にした時、メピボシェテのしもべツィバは、ひとくびきのろばに多くの食料を乗せてダビデの一行を迎えました(サムエル第二、16:1,2)。正に「主は備えたもう」でした。
. . しかし、この詩篇の締めくくりには、いつくしみと恵みとが「私を追って来るでしょう」という信仰の姿勢を見出します。日々の必要が与えられるかどうかを思い煩うどころか、「慈しみと恵み」とが追ってくるというのです。主は、昔から「恵みをもって、天から雨を降らせ、実りの季節を与え、食物と喜びとで、、、こころを満たしてくださ」いました(使徒14:17)。人々がそれぞれ自分の道を歩んでいる時でさえそうなのです。まして、私たちが主に迎えられ客人待遇を受ける時には、これ以上に主は恵み豊かであってくださるのです。
. .人々は、主を無視して不信仰を選び取り、その結果、チルチル・ミチルのように青い鳥を求めて満たされない長旅を続けています。また「山のあなたの 空遠く、幸い住むと人のいう、噫(ああ)、われひとと尋(と)めゆきて、涙さしぐみ、かえりきぬ。山のあなたに なお遠く、幸い住むと人のいう」のヘッセの詩にあるように、人は求めて求めて、なお、得ることができません。しかし、ダビデは「いつくしみと恵みとが、私を追ってくるでしょう」と告白しているのです。幸せの実態は、物の豊かさにあるのではなく、主の「いつくしみと恵み」に浴することにあるのです。これこそ「主は私の羊飼い」と信仰告白したダビデ、また、すべての人々の幸せではないでしょうか。