. . 聖書・「神のみことば」は、真理の尽きない泉です。深く掘れば掘るほど、豊かな甘い水を湧き出します。
このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
「ダビデ以外による詩篇」 に学ぶ : 第175講
■ 今日の「井戸掘り」
「まことに、私は知る。主は大いなる方、私たちの主はすべての神々にまさっておられる。」 詩篇135:1〜21
■ 井戸を掘りましょう:
この文章だけを読むと、この詩篇の作者は、まことの神の他に「神々」が存在していることを容認しているかのように思えます。しかし、そうではありません。作者は「神々」と呼ばれているものがあることを認めているに過ぎないのです。
作者にとって、そのような「神々」と呼ばれている存在は、真の神に対して、偶像であり、実は神でもなんでもないことを重々承知の上でのことです。15節には「異邦の民の偶像は、銀や金で、人のわざです。口があっても語れず、目があっても見えません。耳があっても聞こえず、また、その口には息がありません」と言っています。
それに対して、イスラエルの神「主は望むところをことごとく行われる」お方です。その主が「彼らの地を、相続の地として、御民イスラエルに相続の地として与えられた」のです。