このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
■ 今日の「井戸掘り」
「ほかに あなたの身内が、、いますか」 創世記19:1〜7
■ 井戸を掘りましょう:
. FBマイヤ−という往年のイギリスの著名な説教者は=1929年と言い
ますから、今から60年前に82才で天に帰った人ですが=今朝、私たちが
目を留めようとしている箇所から説教しました。その説教の中で"歴史の波、
帝国の興亡の波は西へと向っている。インド、バビロン、エジプト、ギリシ
ャ、ロ−マと、かって権力を得た国々が忘却の彼方に葬られていっている"
と言い、そして"他の国から権力が離れ去っていったように、イギリスから
も権力が去ることがあるであろうか"と質問しています。
. 今から60年前、大正の末期から昭和の初めと言えば、イギリスが世界中
に植民地を広げ、7つの海を支配していた時です。"イギリスの海に太陽は
沈むことがない"と言われたイギリスの絶頂時代です。
. マイヤ−は更に"そうなることがないように"といって、国々が滅亡して
行く時の時のしるしを、警戒のために六つ列記しています。即ち、
・生活が贅沢になり、
・快楽のために巨万の富が用いられ、
・町々に恥じるべき悪徳が我がもの顔に横行し、
・人は富にへつらい、
・賭事の為に週刊誌、日刊新聞が多くの頁をさき、
・結婚がル−ズになる、
とのことです。"もし、これらのしるしがイギリスにも見えたなら"マイヤ
−は言っています、"祖国にも最暗黒の時が訪れることを恐れる。聖書より
アヘンを輸出し、宣教師より、たましいを売る者を海外に送るなら、イギリ
スも、過去の歴史のうちに滅びたバビロン、ロ−マと等しく、その権力を失
うに到るであろう。"
. FBマイヤ−が心に抱いていた恐れは、どうなりましたでしょうか。イギ
リスはサッチャ−政権が立てられ、少し持ち直してはいますが、北海油田に
最後の経済立直しの望みをかけたにもかかわらず、大事故が起こり、北海油
田の事業は大失敗に終わりそうです。もはや、経済を中心にして、英国は重
症状態に落ち込んでいます。
. この朝、FBマイヤ−が語ったと同じテキストを開きながら、彼がリスト
した国家の滅亡、衰退のしるしを考えていました。バビロン、ロ−マという
帝国にしても、ソドム、ゴモラといった都市にしても、私たち個人個人にと
っても、ある特徴、即ち、滅びのしるし、が現れるとその国家、都市、また、
個人の生涯も、滅亡の時が近いということです。FBマイヤ−が指摘したほ
ろびのしるしを、もう一度繰り返します。今の日本の状況を考えながらこれ
らのしるしに耳を傾けてください。
・贅沢な生活、
・快楽のための浪費、
・悪徳の横行、
・富、財力への媚び
・賭博への熱中、
・ル−ズな結婚関係、
です。
. こどもの頃、夏休みに入って直ぐのことでした。ジフテリヤにかかったこ
とがありました。勤めに出掛ける父を玄関に見送りに出たのですが、そのま
ま、ふらついて倒れてしまいました。お医者さんに連れて行かれたところ、
ジフテリヤという診断です。直ぐ隔離され、入院しました。医師は咽喉を見
て、そこに白くジフテリヤ菌が広がっているのを見たのです。間違いもなく
ジフテリヤのしるしでした。
. FBマイヤ−は、イギリスが繁栄の極みにあった時に、滅亡のしるしにつ
いて語り、国が衰退して行くのではないかと、その恐れを表白したのです。
そのイギリスが今どうであるか、私たちは知っています。
. FBマイヤ−が危険信号として指摘した六つの事柄を、今の日本に当て嵌
めたら、どうでしょうか。今の日本に当て嵌まらない項目があるでしょうか。
六つのことが見られるなら、"日本は経済大国だ"といっていますが、既に
滅びのしるしを帯びている事になります。
. 私たち個人個人は、その生活の中に、これらのしるしは見られないでしょ
うか。もし、いくつかでもみられるなら、悔改めて今のうちに処理しなけれ
ばなりません。そうでなければ、私たちは祝福とは逆方向の、滅びに向って
突き進んでいるのです。
. 聖書に戻りましょう。19章1節に今朝の主題が見いだされます。「ソド
ムの滅亡とロトの家族」です。
. ソドムという町はどのような町でしたでしょうか。13:10。非常に繁
栄した町でした。ここには二つの形容することばが使われています。「主の
園のように」ということばと、「エジプトの地のように」ということばです。
ピラミッド、スフインクス、遺蹟の壁に刻まれた絵画文字、発掘された品々。
古代エジプト文化の水準が高かったことは周知の通りです。ソドムはそのエ
ジプトのようだったというのです。しかし、10:13には、その繁栄の陰
に悪が栄えていたことを示しています。ソドムから来た"ソドマイト"とい
う英語は不道徳な汚れた行為を表すことばです。
. ニュ−スは幼児連続誘拐殺人事件の容疑者が逮捕されたと報じていました。
犠牲者を出した団地や、地域の人々は"ホッ"としたことでしょう。一応心
に安堵を感じてはいますが、警戒を弛めてはいないということです。何故な
ら、ひとりの容疑者が逮捕されても、また類似した事件が起こりかねないと
いう危惧がなくならないからです。まだ他にも同じような事件を起こしそう
な人間がいるように思えるからです。
T ソドムの滅亡
. ソドムの滅亡は当然と言えましょう。今朝の第一の賛美歌は「聖なる、聖
なる、聖なるかな」というレジナルド・ヒバ−の有名な賛美歌でしたが"神
が聖である"とはどのようなことでしょうか。
. 第一義的には、"神は絶対他者である"ということです。神は人とは異な
った存在なのです。人のみか、あらゆる被造物とはかけ離れた存在です。私
たちは創造されたものであり、神は創造者です。
. 夏休みになりましたが、私たちのこどもの頃にはよく工作の宿題がでまし
た。私にとっては楽しい宿題でした。板切れを削って船を作り、ブリキのス
クリュウをつけては、ゴムの動力で小川の流れを遡らせ、友達と競ったもの
です。どんなに形が可笑しくても、自分の作った宝物です。寝る時は枕元に
置いて寝ました。芸術家は自分の作品に対して、強烈な愛着の念を覚えるの
だそうです。けれども、そこには製作者と作品という厳然たる区別がありま
す。
. 神は創造者として、造られたこの世界とは異なったお方なのは当然です。
"神が聖である"とは、こうした意味なのです。ところが人の心は、罪の故
に暗くなり、無知のとりこになっています。太陽に初まり、巨石、巨木、様
々な動物までを神として拝んでいます。創造者と被造物の境がぼやけてしま
ったのです。造られたものにしかすぎない人間が、死ぬと神と崇められるの
です。聖書に教えられていることは、神はどこまでも神、人はどこまでも人
という事です。
. "神が聖である"とは、第二義的には倫理的な意味があります。神はいか
なる悪も見過ごしにされない方です。神はどんなに小さな悪でも反対なさり、
それを憎まれます。歴史のうちに、かって大国として栄えた国々、インド、
バビロン、エジプト、ロ−マは何故滅んだのでしょうか。何故歴史は繰り返
すのでしょうか。聖なる神がおられて、歴史を支配しておられるからです。
悪がある限度を越えると、国は滅亡します。神はその国をさばかれるのです。
. ある人は、果物が熟し、腐って木から落ちるのに例えます。私はむしろ、
虫が食ってしまった果物に例えようと思います。表面は、美しく、依然美味
しそうに見えます。しかし、よく観察してみると、虫の入った穴が見られ、
表面は綺麗で、美味しそうでも、味は失われてしまっている果物、食べられ
ない果物です。果物屋の主人は、このような虫食いの果物をどうしますでし
ょうか。見つけたら、選んで捨てるだけです。
. 神の寛容と忍耐の限度がきた時、ソドム、ゴモラに滅びが瞬く間に、正し
く突然に降ってきました。学者たちは地震で地殻の亀裂が生じ、そこから硫
黄とタ−ルが吹き出した、といいます。確かにこの地方には硫黄とタ−ルが
多く見いだされます。
. マニラに出掛けている間に、伊東沖で海底爆発があったと聞きました。群
発地震で何が起こるか警戒はされていたようですが、海底爆発とは予想でき
なかったようです。海底の爆発は矢張り突然であり、意外でした。
. ソドム、ゴモラの人々にとっても、この日の出来事は突然の事でした。し
かし、神の側からは決して突然ではありません。創世記一五章一三、一六節
に不思議なことが書かれています。カナンの地は約束の地としてアブラハム
とその子孫に与えられました。しかし、それは創世記一五章の約束が与えら
れた時に直ちにではなく、四〇〇年後の事だったのです。一六節に何故かと
の理由が述べられています。アモリ人の悪が満ちていなかったからです。神
は忍耐をもって、ソドム、ゴモラの人々を忍んでおられました。
. しかし、とうとう神の裁きの時がソドム、ゴモラの上にやってきたのです。
ソドムとゴモラは滅びの日を迎えました。
U ロトとその家族
. ロトとその家族は、初めソドム、ゴモラの近くに住んでいましたが、段々
その華やかさに引かれていったのでしょうか。ロトの家族は、何時のまにか、
アブラハムの家族と別れて後、ソドムに町の中に住みつくようになって居ま
した。ペテロの第二の手紙二章七節には「無節操な者たちの好色なふるまい
によって悩まされていたロト」という句が見いだされます。ロトは決して悪
人ではありませんでした。もしそうなら、神はロトもソドム、ゴモラの人々
と共に滅ぼされたことでしょう。
. ロトは弱い信仰者の典型です。自分では一生懸命正しく生きようとしてい
るのですが、周囲の人々を感化し、導く力を持っていません。神からの使い
がロトにソドム、ゴモラの滅亡を警告し、その中から彼の一家を救おうとし
た時、ロトの娘婿たちの反応はどのようなものだったでしょうか。19:1
4節、「そこでロトは出て行き、娘たちをめとった婿たちに告げて言った。
『立ってこの場所から出て行きなさい。この町を滅ぼそうとしておられるか
ら。』」 この警告をロトの娘婿たちは「冗談」としてしか、受け止めなか
ったのです。義理の父のことばを冗談としか受けとめない息子たち。ああ、
何と悲しい事でしょうか。しかし、信仰のことは、常々語っていませんと、
突然話しても分かってもらえないということがしばしばあります。また16節
を見ますと「彼はためらっていた。」と書いてあります。自分が深く納
納得していない時、他人を説き伏せることは先ず不可能です。信仰を伝える
のはことばではないのです。その人の態度、生きざまです。
. さて、ロトとその妻、そして、娘たちはロトに急き立てられてやっと、ソ
ドムの町を出ました。町の滅ぼされる直前のことだったのです。しかし、ま
たここで悲劇が起こりました。ロトの妻が「うしろを振り返ってはいけない」
といわれているのに、後を振り向いてしまったのです。折角救いの第一歩を
踏み出したのに、救いを全うできませんでした。
. 死海の沿岸のこの地方には、塩の柱が多く立っています。ロトの妻は、振
り返って、塩の柱と化してしまったと聖書は言っています。ロトの妻は何に
心を引かれたのでしょうか。ソドムに残してきた財産、友人、娘婿たち、何
が彼女を振り向かせたのでしょうか。どうかクリスチャンとしての信仰生活
を始めた後、この世のものに心ひかれて、振り向くことのありませんように。
一旦、神の道を歩み始めたなら、真っしぐらに救いの完成に向って進みまし
ょう。
. ロトは娘婿を失いました。よく、信仰を持っていない人と結婚する理由と
して、"結婚することによって感化を与えて、その人を救いに導くために"
といいます。しかし、結婚以前に信仰に対して、何の関心も示さなかった人
々を結婚したからと言って、信仰に導くことは難しいことです。多くの場合、
逆にミイラ取りがミイラになって、信仰を持っていない伴侶者を信仰に導く
どころか、その人自身が信仰さえも失ってしまうことが多いのです。ロトは
娘婿を救いに導き得ませんでした。また、ロトの娘たちは、夫を信仰に導き
得なかったのです。
. ロトは愛する妻を不服従の故に失いました。ロトの妻は中途半端な信仰の
持ち主のタイプです。信仰を持っていなかったのではなく、信仰を全とうで
きなかった人物です。折角救いの道に歩み始めていながら、その道から外れ
てしまった人物です。
. ロトはからくも自分の生命を救いましたが、親しい人々を次から次へと失
い、一体どのようにして自分の救いを楽しむことができますでしょうか。
. 私たちもやっとこさで自分の救いを全うするかもしれません。しかし、消 極的な信仰のゆえに、周囲の親しい人々を誰ひとり信仰に導くことができな いで、自分一人ポツンと天国に迎えられるというような状況だったら、いか がでしょうか。今朝、この礼拝の場で、私たちの信仰の質を吟味し、一体、 私たちの信仰がアブラハム的な信仰なのか、ロト的な信仰なのかを吟味しま しょう。私たちの信仰は他の人々に感化を与え、人々を救いに連れ行いてい ますか、それとも、只、やっとこさで自分自身の信仰を守っているにすぎな いのでしょうか(1989/08/13、礼拝)。
■ キリスト、ペテロの足を洗う