神学小論文集


  新約聖書に見るパウロ書簡は、そのすべてといっても過言ではないが、それが最初に書き送られたそれぞれの教会の状況の中で認められた様々な課題・情況に対応するために執筆されました。同様に、以下に紹介する神学的なもろもろの小論文は、神学院院長、国外宣教局局長といった立場にあって、求められ、或いは、必要とされて、ペンを取ったものです。勿論、中には思いつくままに書き綴った小論もあります。そのようなことなので、「神学的」と書きましたが、これらのペーパーは、当然、系統だって記されたものではありません。

  ただ、多くの神学の分野の中で、そのすべてに関心を寄せ、自分なりの考えを纏める時間的余裕や、また、その能力もありませんでしたので、私個人としては、IGМ(インマヌエルの群)のモットーとも言うべき「聖宣」という線に沿ってペンを取りました。聖化論と宣教論が執筆活動の中心でした。それに必要があって、「教会論」、特に、教会の役者、その権威について、書きました。

  以下に、この3つの分野で記された小論文を掲載しておきます。

  ここに収録された小論文の3部作は、それぞれ異なった機会に、教団の聖宣神学院、神学委員会、また、四国教区会のために執筆したもので、最後の小論を除いては、それぞれ論集として発行されたものです。
  その他の小論などは、様々な機会に書きしるされました。

■  神学小論文 T 「聖化論」:

  ここに収録された小論文の3部作は、それぞれ異なった機会に、教団の聖宣神学院、神学委員会、また、四国教区会のために執筆したもので、最後の小論を除いては、それぞれ論集として発行されたものです。
  その他の小論などは、様々な機会に書きしるされました。

■  神学小論文 U 「教会論」:

  「教会論」の分野で、リストされている小論は、群の中のある教師と「教役者の権威」について論じ合った時のやり取りから生まれたものです。同じ時期に、様々な視点から書きしるしましたので、内容的には、重複が多いように思いますが、そのまま掲載しました。

■  神学小論文 V−「宣教論」:

  IGMは、1945年の創設の時から世界宣教にヴィジョンを抱いて、群れの発展に努めてきました。第二次世界大戦で中断され、再び活動を開始した日本の諸教会にとって、国外宣教に目を向け始めたのは、1960年代ですから、IGMの世界宣教への取り組みは、例外的に早いと言われるでしょう。
  1956年に、主イエスの御救いに与り、2年後、主の召命を自覚して聖宣神学院に入学した筆者にとって、その神学院は世界宣教への開眼の場所でした。世界を少しも意識していなかった筆者が、在学2年目に世界宣教を自分の重荷として、生涯的な働きとして捉えたのです。
  爾来、

  1.宣教留学生としてインドの神学校に学びつつ、宣教師としての活動に備えた時代、
  2.インドへのヴィザが交付されず(交付されれば、ラジャナンガオンを中心とする村落伝道に従事する予定でした)、北米ウエスエアン教会の招聘に応じて、その宣教地のひとつカリブ海域ジャマイカに赴くことになり、家族共々宣教師として労した約10年間(報告帰国の期間を含め)、
  3.国外(現・世界)宣教局の責任を担って、IGMの世界宣教の働きの舵取りをした時代、
  4.そして今、一地域教会の牧師として世界宣教を支援する側に回っている時代、

  と様々な立場で、世界宣教に取り組むことを許されました。その間に、折々、特に責任を担って、国外(現「世界」)宣教局長として労した期間に書きしるした宣教論が幾つかあるように思います。それらをここに転載しました。


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