残された写真によって、「インマヌエル高知キリスト教会」の開設以来42年の歩みを振り返ってみます。

・ 先ずは「中水道」時代(最初の1年間)、並びに「幸町」時代(次の4年間)の開拓当初の教会の様子アルバムから紹介しましょう。

「インマヌエル高知キリスト教会の開設・中水道時代

「教会開設期ー中水道、幸町、宝町の借家教会時代」

・ インマヌエル高知キリスト教会は、1965年(昭和40年)、夏期実習伝道に派遣されたインマヌエル聖宣神学院で学ぶ神学生のグループによって始められました。愛宕町の、今もある四国銀行横の空き地を借りて、天幕集会を行ったのが始まりです。台風で天幕が倒れ、テントのロープを支えていた神学生にとっては大変な苦労を重ねての教会開設の働きとなりました。

・ 最初の特別伝道会を越えて中水道の、行き詰まりの路地にある小さな一軒家を借り、そこでの定期集会が始まりました。現在(2007/01現在)インマヌエル仙台教会で牧師として奉仕している田中敬康・泰子師夫妻が高知教会の初代牧師でした。

・ しかし、高知教会は一年足らずで第二代目の牧師、平位全一・忠子師夫妻に引き継がれました(1966年10月)。宣教師として赴くため、インドへのヴィザ申請中という立場での、足掛け三年の奉仕でした。
・ 平位全一牧師は、教会開設の特別集会に出席し、お名前や住所を残してくださった方々を訪問しては、教会の発展に励みました。そのような中で、インマヌエル教会に出席されるようになったのが、S-I 妹で、その出会いは次のようなものでした。

・S-I 姉妹を訪問したのは、最初の集会に出席して、住所氏名を残されたそのご主人様にお会いするためでした。しかし、二度、三度と訪問してもご主人様にはお会いできません。それもその筈、ご主人様は、東津野村に住んでおられ、時折、高知市内に来られる方だったのです。

・何回目かの訪問の折、思いがけなくも、S-I さんが、突然「みことばを開いていただけませんか」と仰ったのです。教会には来たことのない方と思っていた牧師は、驚きを心の中に隠して、その朝、読んだ聖書の箇所を開きました。「事実、あなたの神、主は、あなたのしたすべてのことを祝福し、あなたの、この広大な荒野の旅を見守ってくださったのだ。あなたの神、主は、この四〇年の間、あなたとともにおられ、あなたは、何一つ欠けた者はなかった」(申命記2:7)。

・S−Iさんは、何も仰いませんでした。しかし、次の日曜日から、インマヌエル高知教会の礼拝、伝道会、祈祷会と、すべての集会に励むようになられました。何年も前に持ったクリスチャン信仰に、申命記のみことばによって、復帰したのです。

・ 1969年、第三代目の牧師として、西田价宏・靖子牧師夫妻が着任し、爾来33年の尊い奉仕を高知の地に注がれました。西田价宏の時代に現在の八反町に教会堂を建設するに至りました。

幸町時代の教会、田中英神学生を夏期実習伝道に迎えて 幸町時代の借家前のスナップ、西田价宏・靖子牧師夫妻が着任した年の夏のようです。

幸町時代に集った兄弟姉妹・求道者の方々 古い建物から力強いさんびが聞こえてくる、と評判に! 夏には、神学生の応援を得て、教会学校の働きが盛んに行われました。
☆☆. History「インマヌエル高知キリスト教会の歴史」−2 

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